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「青年の輪【国際交流・京大聖書研究会etc..】」記事一覧

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第60回、祝5年を迎えた京都大学YMCA地塩寮聖書研究会その1・『寮生にとって聖研とは?』

今日は、京都大学YMCA地塩寮のクリスマス会でした。
そして60回目、そして5周年を迎え、6年目に入ろうとしています。
そんな記念すべき日でした。

 
今年は、聖書研究会再興の創成メンバーが全員卒業後の年です。
私はひとつの岐路・ターニングポイントの年だったと思います。
寮生にとって今年1年間の聖書研究会はどんなものと映っていたのでしょうか。
 
そんな事を思い巡らしてながら、
私も創成に関わらせていただいた者として今年のキャンドルサービスでは、
5年前・つまり聖書研究会が始まって初めてのそして記念すべきクリスマスキャンドルサービスで話したメッセージをそのまま、メッセージしました。

創成に関わらせてもらったものとして当時の学生たちの想いを伝えるのが私の責任と思ったからです。
しかし、それをどう捉え、どう行動していくかは今の現寮生にかかっています。


これからどうしていくか?どうしていきたいのか? そのために何をする必要があるのか?


六年目を迎えるにあたり

是非現寮生には考えてもらえれるきっかけとなればと思います。
いい時が与えられるように祈ります。
第一部のキャンドルサービスは以上のように進んでいきました。
さて、そんなこんなでクリスマス会は第二部に移っていきます。
では、第二部ではどんなことをしたのでしょうか。
それは次回のお楽しみに!

 
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第59回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 ―人は先入観の中で生きている

  この聖書研究会も今回で59回を迎えました。



今度の聖書研究会で60回、5年が経過するわけです。

なんだか早いな?という感じがします。

創設のメンバーはすでに卒業しており、今は聖書研究会が当たり前になってからの学生たちです。

自分だけが創設のメンバーとなったのはなんだか寂しいですが、次回のクリスマスには私はこの聖書研究会の歴史性についてメッセージしようと思っています。

寮生ひとりひとりの想いによってこの聖書研究会が継続するかそして無くなるかにかかっていると私は思っています。

私はそのツールでしかありません。

主役はあくまでも学生である。 

そのことを是非とも学生たちには受け取っていってほしいと思うのです。


ともあれ、今回の聖書研究会の始めのお題は、

『後悔した瞬間』もしくは『俺の・私の人生ってなんなんだろう』と思った瞬間

という初めてのネガティブなお題となりました。

ちなみにわたしは妖怪ウィッチのネガティブーンが結構好きです。


さて今回はダークな感じですが、学生たちからは

●3回生のときにドクターとって頑張ろう!!と思ったけれどあまりに実験が精神的にしんどいし、時間がかかってしまいつかれてしまう。

しかも教授の愚痴を聞かされたり、期待されていたが、最近はその期待も薄れてきているのが感じられ、まさに今、自分の人生はなんなんだろうと思わされている。

●部活をやめないといけなくなったとき。
  それまで部活に打ち込んでいたけれど、ある理由からできなくなってしまった。
 目の前の取り組みが一瞬でなくなってしまった。

●高校受験で第一志望を落ちたけど、そこまで悔しいと思わない自分がいた。
 ホントに打ち込んでいたら、悔しいと思う自分がいたと思うのに、頑張っていない自分がいてそれを知った時に後悔した。
浪人しているときに何をしてでも京大に入れ!という期待が周りにはあって、だからと言って自分が落ちたとしても別に社会的にみたら、社会になんの貢献もしていないし、どうでもいい存在なんじゃないかと思わされていた。もうその気持ちは今は乗り越えましたが。

サークルで学祭に出店したけれど、誰も積極的な参加がなく自分だけが頑張っていた。
 そんなときになんなんだろうなあとふと思った。
 でもそんなときに財布を落としたけれど、ちゃんと拾って交番に届けてくださった方がいて救われた。

●小学校のときによく遊んでいる女の子がいた。
 相思相愛だった思うけど、それを確認すること・アクションを起こすことができずその子は引っ越してしまった。ちゃんと聞いておけばよかったと後悔している。

●勉強をしてこなかったことに後悔。そろそろ自分の限界を知り始めている。

●自分の大切なものが壊れて、その修理代が相当なものになって、落とした事に後悔している。

-------------------

結構、出てきました。
筆者自身も大学一年生のときに生活リズムが全く違う相部屋の人とのコミュニケーションが成り立たなくて精神的に疲弊したところに、親しいと思った人から裏切られた事で、人間不信だったことをエピソードとともに話しました。


でもこれには後日談があって、その人間不信がなくなったのは、

ある先輩が「お前の事を信じる」とひと言、言ってくれてその言葉に救われて人間不信をやめたんですね。

だから言葉というのはホントに人を生かしもし、殺しもする。

私たちはその事をもっと知らないといけないと思います。なので政治家の言葉の軽さに驚かされたりするわけですが、、、



ともあれ、本題に入りましょう。今回の聖書箇所は旧約聖書のヨナ書です。

これはスト―リーを知らないと話が分かりづらいのですが、

ここで重要なのは自分に課せられた使命が一瞬にして目の前から無くなったらどうするのか?

という問いが与えられました。

学生たちの意見として

●神様は理不尽

●預言が当たらなかったとしても大勢の人たちが助かったんだからそれでいいのでは?

●自分は用いられていると持ち上げられている・よいしょされていると勘違いしているのがヨナではないか?

-------------
<まとめの中で>

私達人間というのは、先入観で物事を見る事が多い。そしてそれに支配されています。

ヨナは滅ぶべき町なんだから当たり前に滅ぶすべきだと考えていたので、神がそれをなさらなかったことに怒りを持ちます。

でも神は、惜しむことの具体例から、そのヨナの先入観を打ち破られました。

私たち自身はどうなんだろう。

今の世界情勢、パリの事はよく報道されて知っているけど、シリアの事は何も知らない私たちがいます。


恐れは恐れを産む。

まずは私たちは先入観をとることから始める事が必要ではないか?


神は滅ぶべき町であってもそれを惜しみ

そして先入観をもっていたヨナに対して丁寧に具体的な経験をさせる事によって修正してくださっている。


どちらもすぐに断罪するのではなく、神が全てに丁寧にされたように、

私たちもここから学ぶべきものあえるのではないだろうか。



今回はそんな聖書研究会でした。


さて次回は60回、クリスマス。楽しみです♪ 



珍しい光景をみたので写真に収めました(笑


聖書研究会の様子が教会の雑誌「信徒の友」に載りました!

今日は、京都大学YMCA地塩寮にて先ほどまで聖書研究会が行われていました。


内容の報告は次回にするとして、この聖書研究会も今回で59回目となりました。


さて段々と歴史を刻んでいる聖書研究会ですが、

この度、「信徒の友 11月号」(日本キリスト教団出版局)に地塩寮の事が記事となり、

   


その中で、聖書研究会の事も記事となりました。



感謝です。詳しい文章は「信徒の友11月号」をご覧ください。

地道に続けていると、このような感謝な時が与えられるんですね。


聖書研究会の様子が詳しく書かれてあり、

また平日朝6時〜行われている自主的な聖書朗読の事も載っていました。 
 


この聖書研究会は筆者にとっても大変貴重な体験となっています。


この聖書研究会を5年間続けて来れたことに主に感謝するとともに時の寮生たちに感謝いたします。

感謝会と研修会

 今日は、大阪一日遠足の感謝会を行いました。

まあいわゆる、子ども達のお菓子パーティですね(笑



今日は夕方から研修会もあるという事で、

多くのボランティアの方々も集結したため、豪華な感謝会になりました。




そこでみんなに名前を覚えてもらうために、

スタッフ・ボランティアと子ども達がペアになり、自己紹介をする事に



そしてペア毎に相手の名前を覚えて発表するというゲームをしました。


これが結構面白かったですね。


感謝会の後は、いつものように子ども達と遊んでもらいました。


今日初めてのボランティアさんもいましたが、とっても楽しい!!との感想でした。

感謝な事です。



夕方からは、花園教会の青年会と近畿NYIと子ども会ボランティアの方々で懇親会をおこないました。

まずは自己紹介。


そしてマシュマロチャレンジという、チームワークなどを学ぶゲームをした後、




これが結構、難しいですよね。



結局、60㎝のタワーが優勝です! パチパチ

みんなで鍋をつつきました。



     
いやー美味しかったですね。


そしてその間、『貧困についてのプレゼン』を聞きました。


それぞれ、色々と考えさせられる事柄だったと思います。


そして、大覚寺の紅葉へ!!

 


今日は人が少なくて貸し切り状態でした!
   



二年前は人が多すぎて見れなかった場所も、

 

ゆっくりと見て回ることができたのでラッキーでした。






今日も一日祝されたときとなりました!




感謝!!

第58回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 ―これが○○の言葉!―

今日は、58回目の聖書研究会でした。


よく考えたこの2015年もあと2カ月。


そして12月はクリスマス。


なんだか一年が早く感じますね。なんだかみんなと賛美を歌っている中で想いにふけってしまいました。

さてさてそんなこの10月の聖書研究会ですが、今日は初めての旧約聖書からの聖書研究会でした。


しかも『コヘレトの言葉』です。

【すべてが空しい】というのがテーマ。


と、その前に今日も前半はお題から。


段々と小話??になりそうな感じで、話の面白さも重要になってきたかも!?

ともあれ今日のお題は『自分の高校について』でした。

さすがにみんな「進学校」ですよね。

でもそれぞれに特徴があって面白かったですね。

・昔は甲子園で優勝したが今は弱小校になっちゃったり

・男子校だけど女装でミスコンしたり、しかもその女装する子には彼女がいたり

・中高一貫で6年間、同じ人とすごししかも男子という事で、2年で飽き、耐えられなくなり、4年目になると何にも感じなくなる

・前身がルーズソックスの発祥の学校。

・高校なのに制帽があり、忘れたら反省文。

・帰宅部が許されず、帰宅部になるんだったら勉強しろ!と強制されたり。

・体育祭に仮装ダンスをしたり、、、

それぞれ何気に面白いエピソードのある話でした。

私自身はちょっとぶっとんでいる部分もあるのでここでは割愛(笑

聞いている学生は驚きと笑いでした。


さてさて、本題に移って

今回はコヘレトの言葉7章を中心でした。

ここを読んで、それぞれ感想を出し合いました。


初めての旧約であるのと、このコヘレトの箇所が今の時代にも繋がるという事で新たな発見になりました。

確かにテーマは『空しい』ですが、ではなぜ空しいのか?

その裏には何があるのか?


というところを皆で考えをシェア。

また私たちが守るべきもの―という話から、その時代にモラルについて。。。

そしてそのモラルがモラルでなくなるときに、私たちはどうするか?


終身雇用や会社至上主義などの話に発展。



そして聖書のまとめの中では、

生きていく中では理性では解決ができない不可解な事が多く、そこを信仰によって受け止める事もあるんだ、だからこそ、目に見えない愛が重要なんだ!という事を伝えました。




絵画『ヴァニタス』:ヴァニタスとはラテン語で「空虚」「むなしさ」を意味する言葉であり、地上の人生の無意味さや、虚栄のはかなさなどと深く結びついた概念である。ヴァニタスを語る際、旧約聖書の『コヘレトの言葉』(『伝道の書』)1章2節の有名な言葉「ヴァニタス・ヴァニタートゥム」(「空の空」、「虚無の虚無」)がよく引用される<Wikiより>



また旧約聖書もできたらな面白いなと思います。

さてさてこの聖書研究会も次の次で60回を迎えます。


これからも楽しみです♪






第58回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 ―これが○○の言葉!―

今日は、58回目の聖書研究会でした。


よく考えたこの2015年もあと2カ月。


そして12月はクリスマス。


なんだか一年が早く感じますね。なんだかみんなと賛美を歌っている中で想いにふけってしまいました。

さてさてそんなこの10月の聖書研究会ですが、今日は初めての旧約聖書からの聖書研究会でした。


しかも『コヘレトの言葉』です。

【すべてが空しい】というのがテーマ。


と、その前に今日も前半はお題から。


段々と小話??になりそうな感じで、話の面白さも重要になってきたかも!?

ともあれ今日のお題は『自分の高校について』でした。

さすがにみんな「進学校」ですよね。

でもそれぞれに特徴があって面白かったですね。

・昔は甲子園で優勝したが今は弱小校になっちゃったり

・男子校だけど女装でミスコンしたり、しかもその女装する子には彼女がいたり

・中高一貫で6年間、同じ人とすごししかも男子という事で、2年で飽き、耐えられなくなり、4年目になると何にも感じなくなる

・前身がルーズソックスの発祥の学校。

・高校なのに制帽があり、忘れたら反省文。

・帰宅部が許されず、帰宅部になるんだったら勉強しろ!と強制されたり。

・体育祭に仮装ダンスをしたり、、、

それぞれ何気に面白いエピソードのある話でした。

私自身はちょっとぶっとんでいる部分もあるのでここでは割愛(笑

聞いている学生は驚きと笑いでした。


さてさて、本題に移って

今回はコヘレトの言葉7章を中心でした。

ここを読んで、それぞれ感想を出し合いました。


初めての旧約であるのと、このコヘレトの箇所が今の時代にも繋がるという事で新たな発見になりました。

確かにテーマは『空しい』ですが、ではなぜ空しいのか?

というところを皆で考えをシェア。

そして、生きていく中では理性では解決ができない不可解な事が多く、そこを信仰によって受け止める事もあるんだ、だからこそ、目に見えない愛が重要なんだ!という事を伝えました。


また旧約聖書もできたらな面白いなと思います。

さてさてこの聖書研究会も次の次で60回を迎えます。


これからも楽しみです♪








第57回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -権威とはなにか?-

京都大学YMCA地塩寮にて第57回目の聖書研究会が行われました。

今回のお題は、『この夏休みの想い出』でした。

今回は上級生が多かったこともあり、

・就活が終わり、内定をもらった!

・自分で企画したゲームを行った!

・院試をクリアして研究室に配属された!

・北海道旅行に原付で行った!

・ツーリングに九州に行った!

・ホラーゲームをなんとかクリアした!

などの想い出が語られました。

さすがに話も上手くて笑いが止まらない想い出話でしたね。

さて、聖書の箇所は【ローマ13章1〜7節】

ここから、『権威とはなに?』、『身近な権威を感じた事は?』

などから色々と意見が飛び交いました。

法律・社会的な規範に従う社会的な強制力という前提から、反対しずらい雰囲気という話となり、寮の上下関係の話などに発展!

上級生の下級生に対する思いやりも垣間見える会話でした。

また辞書で調べると
・『権威』とは、、自発的に服従を促すもの
・『権威主義』とは、、権威に服従するという個人や社会組織の姿勢・思想というところから政治的に全体主義的にも取られる

という事で、警察に対する姿勢の珍エピソードなども紹介されました。

また権威に対して、従順でいいのだろうか?という疑問から、

・実験の世界では、よく教授が『疑え!』と言っているが、実験自体はテキスト通りに肯定的に行うので迷う。

・言葉に支配されている事から脱却しようと考えても、言葉を廃することができない

・この世界は、立場で決まっているのではないか?

・権威という檻の中で暮らしていて、そこにいる事を快適に感じている。

今回も様々な意見が出てきました。

---------------------
<牧師>
このローマ13章の周りではキリスト者としての生活の規範について語られているが、ここを強調すれば、キリスト者の自分とそうでない人を分け隔ててしまう恐れがあり、

それは宗教的な熱狂を生んだり、思い上がり・傲慢を生むので、パウロはキリスト者は冷静な対応が求められるという事から、権威について話しているのではないか?

また実際に宗教的熱狂から、ドイツのヒトラーを指示した教会

9・11以降のブッシュ政権を支持した熱狂的なアメリカの一部の教会などを例に出し、戦争へと繋がっていった側面については話をしました。


ここでの大前提は『正しい者はひとりもいない』というところからパウロは出発しており、正しいのはイエス・キリストであり、イエス・キリストの愛によって主の平和が与えられていく、

だからこの権威のすぐ後には、隣人愛がきているのではないか?

と伝えました。

憎しみや悲しみなどは、道徳や権威では解決できず、主イエスの愛によって神と人が和解したように、人と人の間にも愛によって和解があたえられているのではないか?

以上のような話から意見交換している間に時間が来ました。
 

今回は下級生の参加が少なくて残念なところもありましたが、その分上級生の話がさすがにうまく、とても笑った楽しい聖書研究会となりました。




また次回が楽しみです。

この10月から学生たちも授業が始めっていきます。学生たちの後期も祝されますように!




花園教会ってどんなとこ?

主日礼拝:毎週日曜日
10:30~12:00




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絶望のあるところには希望を

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