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第59回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 ―人は先入観の中で生きている

  この聖書研究会も今回で59回を迎えました。



今度の聖書研究会で60回、5年が経過するわけです。

なんだか早いな?という感じがします。

創設のメンバーはすでに卒業しており、今は聖書研究会が当たり前になってからの学生たちです。

自分だけが創設のメンバーとなったのはなんだか寂しいですが、次回のクリスマスには私はこの聖書研究会の歴史性についてメッセージしようと思っています。

寮生ひとりひとりの想いによってこの聖書研究会が継続するかそして無くなるかにかかっていると私は思っています。

私はそのツールでしかありません。

主役はあくまでも学生である。 

そのことを是非とも学生たちには受け取っていってほしいと思うのです。


ともあれ、今回の聖書研究会の始めのお題は、

『後悔した瞬間』もしくは『俺の・私の人生ってなんなんだろう』と思った瞬間

という初めてのネガティブなお題となりました。

ちなみにわたしは妖怪ウィッチのネガティブーンが結構好きです。


さて今回はダークな感じですが、学生たちからは

●3回生のときにドクターとって頑張ろう!!と思ったけれどあまりに実験が精神的にしんどいし、時間がかかってしまいつかれてしまう。

しかも教授の愚痴を聞かされたり、期待されていたが、最近はその期待も薄れてきているのが感じられ、まさに今、自分の人生はなんなんだろうと思わされている。

●部活をやめないといけなくなったとき。
  それまで部活に打ち込んでいたけれど、ある理由からできなくなってしまった。
 目の前の取り組みが一瞬でなくなってしまった。

●高校受験で第一志望を落ちたけど、そこまで悔しいと思わない自分がいた。
 ホントに打ち込んでいたら、悔しいと思う自分がいたと思うのに、頑張っていない自分がいてそれを知った時に後悔した。
浪人しているときに何をしてでも京大に入れ!という期待が周りにはあって、だからと言って自分が落ちたとしても別に社会的にみたら、社会になんの貢献もしていないし、どうでもいい存在なんじゃないかと思わされていた。もうその気持ちは今は乗り越えましたが。

サークルで学祭に出店したけれど、誰も積極的な参加がなく自分だけが頑張っていた。
 そんなときになんなんだろうなあとふと思った。
 でもそんなときに財布を落としたけれど、ちゃんと拾って交番に届けてくださった方がいて救われた。

●小学校のときによく遊んでいる女の子がいた。
 相思相愛だった思うけど、それを確認すること・アクションを起こすことができずその子は引っ越してしまった。ちゃんと聞いておけばよかったと後悔している。

●勉強をしてこなかったことに後悔。そろそろ自分の限界を知り始めている。

●自分の大切なものが壊れて、その修理代が相当なものになって、落とした事に後悔している。

-------------------

結構、出てきました。
筆者自身も大学一年生のときに生活リズムが全く違う相部屋の人とのコミュニケーションが成り立たなくて精神的に疲弊したところに、親しいと思った人から裏切られた事で、人間不信だったことをエピソードとともに話しました。


でもこれには後日談があって、その人間不信がなくなったのは、

ある先輩が「お前の事を信じる」とひと言、言ってくれてその言葉に救われて人間不信をやめたんですね。

だから言葉というのはホントに人を生かしもし、殺しもする。

私たちはその事をもっと知らないといけないと思います。なので政治家の言葉の軽さに驚かされたりするわけですが、、、



ともあれ、本題に入りましょう。今回の聖書箇所は旧約聖書のヨナ書です。

これはスト―リーを知らないと話が分かりづらいのですが、

ここで重要なのは自分に課せられた使命が一瞬にして目の前から無くなったらどうするのか?

という問いが与えられました。

学生たちの意見として

●神様は理不尽

●預言が当たらなかったとしても大勢の人たちが助かったんだからそれでいいのでは?

●自分は用いられていると持ち上げられている・よいしょされていると勘違いしているのがヨナではないか?

-------------
<まとめの中で>

私達人間というのは、先入観で物事を見る事が多い。そしてそれに支配されています。

ヨナは滅ぶべき町なんだから当たり前に滅ぶすべきだと考えていたので、神がそれをなさらなかったことに怒りを持ちます。

でも神は、惜しむことの具体例から、そのヨナの先入観を打ち破られました。

私たち自身はどうなんだろう。

今の世界情勢、パリの事はよく報道されて知っているけど、シリアの事は何も知らない私たちがいます。


恐れは恐れを産む。

まずは私たちは先入観をとることから始める事が必要ではないか?


神は滅ぶべき町であってもそれを惜しみ

そして先入観をもっていたヨナに対して丁寧に具体的な経験をさせる事によって修正してくださっている。


どちらもすぐに断罪するのではなく、神が全てに丁寧にされたように、

私たちもここから学ぶべきものあえるのではないだろうか。



今回はそんな聖書研究会でした。


さて次回は60回、クリスマス。楽しみです♪ 



珍しい光景をみたので写真に収めました(笑


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