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京都・花園キリスト教会

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「あなたへのメッセージ集」記事一覧

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私たちは神によって新しい世界に立たされている

『7月前半の礼拝メッセージから』

おはようございます。

先週は雨の日が多く、九州また明日の研修旅行で行く山口など、多数の県で被害がでましたが皆さんの周りは大丈夫でしたでしょうか?

雨と言うのは大事なのですが、あのようなゲリラ豪雨になると本当に水の怖さを知らされます。

このようなゲリラ豪雨は温暖化が原因だといわれますが、それは私達人間がこれまで行なってきた事の積み重ねでもあります。

私たちはこのローマ書を通して罪の問題についてみてきました。

この現代社会においては、私達のうちにある罪、そして私達の罪から引き起こされる社会的な罪も段々とこのような形で、私達にも見える形で現われてきているのではないでしょうか。

私はこのゲリラ豪雨を体験し、また被害状況をみるときに、創世記の言葉を思い出します。

それは創世記1章26節~27節

「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、彼らが、海の魚(うお)、空の鳥、家畜、血のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」

神は人をご自分のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

神は、神ご自身にかたどって男と女を創造されました。

そして神はこの男と女の人間に、これまで神が造ったすべてをちゃんと支配するよう命ぜられたのです。

キリスト教を批判する人はこの箇所を用いて批判します。

私もめんど向かって批判されたことがあります。
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津和野-殉教地 研修レポート3:キリシタンの信仰

津和野に153名の長崎・浦上村の方が連れてこられた。(江戸後期~明治2年の間に)

つまり明治に入ろうが、キリシタンに対する迫害はめちゃくちゃすごかったという事になります。

津和野では明治6年のキリシタンに対する高札が撤去されるまでの間に、36名が殉教した
(この中には5歳の女の子もいる‐飢餓でなくなった。)

また54名が形の上では教えを捨て、63名が信仰を守り抜いた。

その後、津和野ではキリシタン迫害の名残りのものは取り払われた。

寺は取り壊され、池は埋められ、敷地は農地に変わった。

それから20年後、フランス人宣教師ビリヨン神父が津和野を訪れ、殉教者の遺体を探し掘りだし、遺骨を見つけ、ひと山隣りの千人塚に立派な墓石を立てそこに埋め直した。

そこに「信仰の光」と刻んだ記念碑を建てる。

それから長い年月が経ち1939年カトリック教会は乙女峠の土地を買い取り戦後、聖母マリア聖堂を建てた。


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これが津和野が殉教地とされる所以である。

ここで重要なのはキリシタンの遺体を掘り起し墓石を立てたのは宣教師だという点だと思う。

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教会から三尺牢のパノラマ

近畿地区NYIでプレゼンした【キリシタンについて】の資料

※キリシタン禁教の高札が撤去された後も正式に認められたのはそれから数十年後なんです。だから実際は迫害されていた明治の間の期間は長いんです!!








副題:キリシタンの信仰に学ぶ(あなたへのメッセージ)

主題:『私たちは復活の力によってキリストに生き、明日を希望する』

おはようございます。

先々週の土曜日に京都地区も梅雨明けを向かえ、雨がやっと終わったと思いきや今度は晴天すぎて、猛暑日が続くというなんとも極端な天気に見舞われています。

すでにこの一週間でこの暑さから来る熱中症で50人以上の方が亡くなり、6000人近い方が病院に搬送されたそうです。

どうぞ皆さん体調管理、特に水分と塩分が不足がちになるこの酷暑、ジュースであるならばポカリスエットなどのスポーツドリンクを携帯してお出掛けください。

私も常に脱水症状を緩和するために常時携帯しています。

これはミンダナオ島に行った時に学びました。

私がミンダナオ島を訪れた際は、赤道直下の真夏の時期でしたので、暑さについては色々と学ぶ事ができたため、この日本においても実践できています。

そして、先週の研修旅行に際してもそれを生かすことができました。



津和野-殉教地 研修レポート2:なぜ津和野なのか?

わたしは今回、研修旅行を通してキリシタンの信仰を垣間見ることができました。

私たちは通常「隠れキリシタン」という呼び名と迫害を恐れて仏像の後ろに十字架をあしらって隠れて信仰を守っていたという程度しか知りません。

けれども実は、このキリシタン達が声をあげなかったら今の明治時代からのキリスト教の信仰継承はあり得なかったでしょう。

私は今「キリシタン達が声をあげなかったら?」と言いました。

私はこの研修旅行で乙女峠を訪れまでずっと実は、明治時代、キリスト教が布教できるようになったのは、

それまで鎖国を続けてきた江戸時代から明治に代わり、諸外国との貿易&条約を結ぶにあたってキリスト教を禁教していては条約や貿易に不利になるから、禁止を解いた
とばかり思っていました。

なぜなら私が学校の日本史でそう教えられてきたからです。(京都の友人もそう教わったと語っています)

私は学校の教科書において、「明治時代にキリスト教が布教できるようになった」という一文しか見たことがありませんでした。

けれども、真実というのは実はそんな単純なものではありませんでした。


ときは江戸時代から文明開化と呼ばれる明治時代に入ったとき、多くの外国人もこの日本に来るようになりました。

長崎はとくに江戸時代よりももっと多く外国人が来るようになったのです。

外国人が増えるという事は、キリスト教を信じている外国人も当たり前ですが、来日するわけです。

そうなると、キリスト教を信じている外国人にとっては教会がほしくなります。

ということで、外国人専用の教会が長崎にできました。

それが皆さんよく知っている大浦天主堂です。これも私は知らなかった・・・。

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この教会の姿を見たキリシタン達は250年以上、自分の信仰を公にしたら死罪になる恐れの中にいましたが、

この教会を訪問し、同じ信仰を持った外国人・そして教会を見て、これまでのように隠れる事をやめて、

キリシタンの女性が亡くなったことを機に、仏教で葬儀をする事を拒否し、自分がキリシタンである事を公にしたのでした。

(250年間の願いが一気に噴出したんでしょうね。250年・・・すごい年月です。
この忍耐には脱帽です)

しかし、明治であってもキリスト教禁教令は続いていました。

ここから浦上村の人たちは各地に分散されて拷問をうけることになります。

そのひとつが亀井藩の津和野でした。

当時津和野は、神道の教育に大変熱心な土地だったのです。

改宗させるにはもってこいの場所というわけです。



<ひと言>現代の日本はどんな宗教であっても、信教の自由が守られている事はすばらしいですね。

研修レポート1:津和野・・・殉教地を訪れて

津和野のを訪れたのはこれで2回目です。

けれども1回目は私が幼少だったこともあり、あまり覚えていません。

この津和野は山陰の小京都とも言われており、その名のとおりとてもきれいな場所でした。

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[夜のメインストリート]

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[ライトアップされた津和野カトリック教会]


そして殉教の地でもあるこの津和野の乙女峠を訪問しました。

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[乙女峠に立てられた教会]



わたしは、これまで、江戸時代250年間にも及ぶキリスト教禁教令が明治時代に解かれたのは諸外国との
貿易&条約を結ぶため
のものだとばかり思っていました。

また私は学校でそう教えられてきました。

私は学校の教科書において、「明治時代にキリスト教が布教できるようになった」という一文しか見たことがありませんでした。


けれども、真実はそんな単純なものではなく、明治の初期にキリシタンが迫害されていることを諸外国が知り、

それに抗議された岩倉具視などが津和野や他の場所で行われたキリシタンを迫害していることがそんなに重要なことなのかと思わされ、

やっと重い腰を上げてキリスト教の禁教を掲げた高札をおろした
のです。

つまり、禁教令が解けたのはこのキリシタンの迫害・殉教者たちがいたからなのです。



ちなみに木戸孝允は長崎を訪れた際(まだ禁教令が出されていた頃)、「キリシタンの何人かを公開処刑して見せしめにしよう」と言及しています。

けれども長崎の外国社会を見てそれをやめたそうです。

なんとも真実は残酷なものでしょうか。


幕末などは美しい話ばかり聞かされますが実はこんな真実もあったのです。

やっぱり現場に行き、自分で勉強する必要があると私は思いました。

いずれ、このキリシタン殉教については教会でプレゼンしようと思っています。

ちなみにこの津和野では36人が殉教しています。

その中には、

5歳の女の餓死

極寒の津和野の真冬の中、裸で縦横1メートルしかない牢に入れられの獄死

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鞭うちをされ続けての死

などがあります。



また頑として改宗しない人がいれば、その家族(病弱な弟)を狙って悲鳴を出させて獄死させるなど・・・今では考えれない拷問が
あったなんて

・・・同じキリスト者としてこの事実をこれまで知らなかったことを私はとても恥ずかしく思いました。

また同時にどんな宗教でも信教の自由が与えられていることにとても感謝しました。

キリスト教徒もある時代においては他の宗教に対して迫害を行いました


けれどもこれからは宗教が違ったとしても、そんなことが起こらないように、私はこの事をきっかけに次の世代の人たちに少しでも伝えていければと思っています。

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潜伏キリシタン殉教の地へ

今日から実は花園教会50周年記念研修旅行に来ています。総勢15名ほど・・・

テーマは「隠れキリシタン潜伏キリシタンの殉教の地を訪ねて」

(隠れキリシタンではなく潜伏キリシタンでした・・・勉強不足ですね)

場所はと言いますと、津和野です。山口県と島根県との県境(ちなみに島根県です)にあります。

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ここは【山陰の小京都】とも言われています。

とてものどかな町です。

またここは明治の初期に長崎・浦上から隠れキリシタンが捕まりここに連れてこられて改宗を迫られ

36人が殉教した地でもあります。

殉教した地には「乙女峠マリア聖堂」が建てられています。

わたしも一度来たことがあるとのことでしたが、幼少の頃だったので今回がある意味初めての訪問と
なりました。

私はカトリック教会との交流もあるのでとても親近感をもって訪問することができました。

また、「乙女峠マリア聖堂」が建った1951年(昭和26)当時、

建設に携わったドイツ人神父ネーベル氏に上智大学初代学長でもあるヘルマン・ホフマン氏(彼もドイツ人)が手紙をしたためていたのです。


その書簡が津和野カトリック教会に展示してありました。

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上智大学を卒業した私にとっては驚嘆すべき出来事であると同時により親近感がわきました。

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内部はこんな感じ・・・ステンドグラスが素敵でした。

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そして津和野の旅館にて現在ブログをこうして更新しているわけですが、


実はさきほど、食事の世話をしてくださった旅館の方がフィリピンの方ということが判明し、

また私が現在フィリピンと深い関わり合いがあるとのことを話すと大変その方は喜んでいらっしゃいました。


ちなみのその方の名前はマリカさんという方でこの津和野のには20年以上住んでおられるとのことで、しかもクリスチャンの方(カトリック)でした。


しかもお子さんが大阪の大学におられるというではないですか!


大阪教区の司教さんとも仲良くさせていただいていることもあり、私たちの教会の連絡先をマリカさんに差し上げました。


いやー世の中は狭いですね。


というより、同じクリスチャンとしてとても心が温かくなる出来事でした。


本当に出会いの広がる研修旅行となっています。


ちなみに花園教会の方は、お留守番??の信徒の方々が現在常時、管理・運営してくださっており、安心してこちらに来ています。

メッセージ:私たちはキリストによって夜明けをみる

聖書箇所:ローマ5章1節~11節

今日の御言葉に入って参りましょう。

私たちは今日からローマ書5章に入りました。このロマ書は16章までありますから3分の1を読み進めたことになります。

今日の聖書箇所はよくメッセージで使われる箇所であり皆さんもよくご存知の御言葉かもしれません。

今日のここの御言葉をひと言で言うなれば、「平和」です。それも「キリストにおける平和」です。

私たちは、これまでロマ書の1章から順に見てきました。

けれども私は、このロマ書の書かれた時代背景を説明してきませんでした。

ですが、今回「キリストにおける平和」というキーワードがでてきましたのでお話ししたいと思います。

私たちは平和と聞くとき、戦争もなく争いもなく平凡な生活ができる事を一般的には平和とし、考えますが、今日の1節にある「平和」は私達の考える平和とは違っています。

その前に少しパウロがローマ教会に手紙を送った背景を皆さんと見ていこうと思います。



花園教会ってどんなとこ?

主日礼拝:毎週日曜日
10:30~12:00




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絶望のあるところには希望を

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