本日より、花園教会青年会で花園卓球倶楽部を作りました~!!
いやーいい汗かきましたわ~。
そして自分が思っていたよりも卓球が弱いことを知りました(笑
まさにこれから鍛錬?します。
また先ほどNHKスペシャル『新型うつ』について特集がされていました。
花園教会でも世代間ギャップについては一年以上前から取り組んできました。
まさに生きてきた時代が変わっていく中で、人も複雑化してきている。
その中で教会にもやっていくことがあるのではないか!?
という事で、私達の教会ではこの課題にこれからも取り組み、あがいていきます!!
ちなみにナザレンの青年機関紙に寄稿した文を少し掲載します。
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今の若い世代をある人はこう呼んでいるらしい。 【悟り世代】と。
ではなぜ【悟り世代】と呼ぶのだろうか?
それは、生まれたときから不景気が続き、政治を見ても、経済をみても、親を見ても、周りを見ても、『景気の悪い話』ばかり。
それを見て育った子ども達が青年になった時、彼らから出る言葉は「やったって意味がない。先が見えない事をやっても時間の無駄。」というどこか悟ったような言葉が返ってくるからだそうだ。
そんな青年達に対して大人たちは「ハングリー精神がない!」「今の若者は!」と断罪し、愚痴をこぼす。
なんとも腐りきった悪循環だろうか。
ちなみに「今の若者は!」という言葉は今から3000年前のギリシャでも使われていた言葉だ。この言葉からもわかるように、人間はいつの時代も変わらない。
そして言える事はただ一つ。
この状況の中で「正しい者はひとりもいない」という事だ。
逆に、今の時代を作ったのは私達大人の責任でもあるのだから「今の若者は!」なんて言えたタチじゃない。
私たちに今必要なのは【正しい者はひとりもいない】こんな世界に生きているからこそ、全き正しい者:イエス・キリストを信じて夢を持ち続け、どんな時でも希望の光を灯し続ける必要があるのではないだろうか。
その意味で苦難な中でもイエスを信じ尽くした先達のキリスト者を知る事はそのキーポイントとなる。
前回、新島襄の22歳にして日本人初の私費留学生になった話をした。
新島はその後、28歳のときに明治政府駐米大使:森有礼(もりありのり)(24歳)と会見。新政府からパスポートが発行され正式な留学生となり、岩倉使節団に加わったのだった。(臣下としてではなく自由人として)-ここで親交の深い津田仙の娘である当時7歳だった女子留学生:津田梅子(津田塾大学創設者)と交流を持っている。
このように岩倉使節団に接触した新島は、木戸孝允、特に森有礼などの明治政府高官とのパイプを持つこととなる。
そしてこの出会いは、のちの同志社英学校設立(後の同志社大学)に大きな影響を与えていく事に。
ともあれ新島は岩倉使節団との接触により、文部理事官:田中不二麿の随行員となっていたのだが、田中が帰国する際、文部行政にあたるよう嘆願を受けるものの、今、政府の仕事をしてしまったら、
【神の御国のために働くことができない】
【神学の勉強がまだ中途半端であり、牧師の資格が得られない】
との理由で大変な好条件:<出世街道まっしぐら:政府幹部間違いなし!>を蹴ったのだった。(ちょっと前まで死罪になる立場だった事を考えると尚更!!)
彼は手紙に中で「自分が第一に望む事は『自分の十字架を背負って主の道に従うこと』。これが自分の幸せである」と手紙で語っている。
しかし、新島の判断は正しかった。
それは翌年の明治六年、所謂【明治六年政変】にて明治政府の不安定さが露呈され、西郷隆盛を中心とした国内残留組Vs木戸孝允・大久保利通などの使節組の構図が生まれ、新島が政府高官になっていたら政治に翻弄されどうなっていたかわからなかったからだ。
そして新島は【主の道に従う事】を第一として、明治7年11月26日、10年ぶりに新島は日本に帰国したのだった。
新島襄、31歳のときである。
ちなみに!! 新島襄が卒業したアーモスト大学は多くのノーベル賞受賞者を輩出しており、日本人の卒業生には新島襄の他に内村鑑三がいる。
また、日本の北海道に赴いたクラーク博士もここの卒業生で、新島はクラークから化学の授業を受けていた。のちに、クラークが北海道に行く事となったのは実は新島の紹介である。(1876年-クラーク50歳)
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