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京都・花園キリスト教会

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第56回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -友達の不道徳をあなたはどう感じるか?-

今日は第56回目の京都大学YMCA地塩寮聖書研究会でした。

小・中・高はもう学校が始まっていますが、大学は夏休みの折り返し点なんですよね。

今日のお題を『夏休みの思い出は?』としようと思ったのですが、そうだ!折り返しなんだと思わされ、急遽、『この8月にやった事』をお題にしてもらいました。

この夏は夏のスクーリングという事で、塾の講師をする人が多いようです。

●ある学生は子どもの学習支援を中心に、

・実家の友達と一緒にであったり、

・NPO法人NCMジャパンのプログラム(花園教会が京都事務所になっている)で東北の子ども達に勉強を教えたりする学生がいたり、


●大学のテストが大変すぎてその反動で、ぼーっとする学生



●ツーリングで九州に行った学生


●部活に明け暮れた学生



●大学院の試験に臨んでいた学生


と学生達もそれぞれこの一カ月を過ごしていたそうです。

学生はあと休みが一か月。

悔いがないように過ごしてほしいと思います。

でもぼーっとするのもひとつの方法で、

時間を無駄にしたという経験は社会人になって、

時間の大切さを知る機会にもなったりするので、どんな過ごし方でも無駄はないと私は思います。


さて、本日の聖書箇所:第一コリント5章1〜13節

【他者のモラルの低下、ここでは不道徳を知るのは『友達になってから』の場合が多いのでその時に、自分はどうするか?】

というお題のもと、様々な話がでてきました。


・人の嫌な面を見たとしても、だから付き合わないというよりは、その友達の不道徳を改善させるよう努力する


・友達が人の物をパクってしまった場合、その人を改善させたとしても、
その友達のイメージはその事によって出来上がってしまうため、
そのイメージを払しょくできず、以前のような関係は持てないと思う。

だから、そのような人とは信頼関係を持つことはできない。


・自分の家庭で色んな事があった。そのようなものを見ると、成り行きもあり自分から働きかけるのはやめてしまう事もあると思う。


・ヤンキーとは距離をとっていた。
人の事を本気で傷つけるような人とは付き合わない。


・部活で一緒になって遊ぶことはあっても、所謂遊ぶ友達というのはいなかった。
自分は臆病で、人を避けてしまい、何気ないひと言で傷ついてしまう。
だから、自分と合わない人はさける。


・自分から話しかけるという事はせず、自分に話しかけてくれた人と話すことを信条にしている。だからこの議論があんまりピンと来ない。



と様々な意見が出て、

そこから派生的に、「人をカテゴライズすること」人を表面で判断することやその判断が恐ろしい目に遭う可能性(結婚詐欺やデート商法)の話がでて盛り上がりました。


----------------
牧師の解説

今回の聖書に出てくるコリントというところは、モラルが低下しているが故にそのモラルが低下しているという事に対してもあんまりピンと来ない世界が広がっていました。

そんな世界に実は教会も浸っており、そしてそんな人がお高くとまって、他者を裁くという大きな問題が存在し、パウロはそれを断罪しているのです。


この当時の性に関する社会背景を現代的にいえば、性犯罪かもしれません。


なぜ?性犯罪が起こるのか?

そこには極端なロリコンも蔓延っているのではないか?



この事を踏まえて、その時々の事を考えてみると、私が十代のときにスピードという歌のグループが出てきて、当時は小学生がアイドルになる事に衝撃が走ったが、

しかし今は当たり前になっている。

今では小学生低学年も注目されるようになってきた。




私たちは時代の流れを享受しすぎて、

ベースとなる判断基準というものがなく、結果、何が善くて悪いのか?という判断ができなくなっている社会があるのではないか?



これはハラスメント・特にセクシャルハラスメントにも通じるものがあるかもしれない。




私たちの罪の中にはキリスト教では、個人的な罪や原罪、そしてその原罪からくる社会的罪があると説明しました。

そして何が正しくて何がわからない社会に私たちはどっぷり浸っている。


そうするとそこで大切なのは、

『他者のモラルを指摘する前に、己の事を考える必要があるのではないか?』というところに帰結します。


しかも、神の愛を知る者・キリストの愛・福音を知る者は特に、それが必要ではないかと思うのです。


世の中の犯罪は、確かにその犯罪が悪い事であるのは当たり前だが、

しかしその背景・社会的背景、そしてそれは自分自身にも関わってくるのではないか。



たとえば、『人は人、自分は自分』全ての人が思った時に、そこには無関心が広がり


『金がすべて』と全ての人が思ったら『隣人愛』なんてものはなくなります。


だとしたらまず、

私たちは人の事、社会の事を言う前に、自分がどうなのかを知る必要があると思うのです。



人は誰かに指摘されなければわからないもので、

このコリントの教会の人たちも、教会にいながらも何が悪い事なのかがわからずにいた。


だからこそパウロはそこを指摘したわけです。


私たちも外部からの刺激、キリスト教的には聖書のみ言葉を聞いて知る事によって、変えられる。


是非とも自分から変わっていこう!という話で時間が来たこともあり、今日は終わりました。

聖研後は、今の子ども達の実情を色々と話、帰宅は23時40分。


しかし、私にとっても本当に素晴らしい時が与えられています。

この出会いにいつも、感謝感謝です!!
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