今日も左京区、京都大学YMCA地塩寮にて聖書研究会が行われました。
今日の発題者は新一年生という事で、発題も大変だったと思いますが頑張ってくれました。
今日の箇所は、ルカによる福音書10章25〜37節 『善きサマリア人』
でした。
ここはキリスト教界では有名な箇所ですが、知っている人は知っている知らない人は知らないと思います(笑
さてさて本題に入る前に、お決まりの自己紹介が行われ今月のテーマは
「夏をどう過ごすか?」
でした。
・バイト代を貯めて、自転車を買い旅に出る
・院試のために勉強しまくる
・バイクでツーリング(九州)
・自分のやりたい分野の勉強をやりたい
・祇園祭に行く。浴衣を着たい!
・留学するのでその準備
・就活を引き続き頑張る!
・バイクのツーリングに一緒に同行する!
・北海道を合流地点として別々のルートで旅に出る。
いやーいっぱいでました!でました!
ツーリングは懐かしい!!
私も東京から北海道・九州にでかけたときの事を思い出しました。
夏はいいもんだなあとしみじみ思わされましたね。
けれどもその前に、学生の皆さんにはレポートとテストが待っています。
これをクリアしなければ、描いている夏も見えてこないですから頑張ってほしいものです。
さてさて、本題に戻ります。
今回のテーマとなった善きサマリア人なのですが、
ここを発題した理由として、アメリカ・ヨーロッパで【善きサマリア人の法】というものがあるという事を授業で知ったとのことでした。
お恥ずかしいですが、私もそんな法律があるなんて知りませんでした(汗
学生から教えられることも多いですね。
法律についてはWikipedia⇒ 善きサマリア人の法
をご参照ください。
さてさて、
「ここの箇所を読んで同じように人が倒れている現場に出会ったことがあるか?」
という問いがありましたが、
実際に人が倒れている現場を目撃した子がその状況を話してくれました。
また自分もそのような状況で助けられた学生の話も共有。
そんな話をしている中で、何年か前に中国で、人を助けたらその人が医療費を請求されるという事がある事から、ひかれた子どもを見殺しにした事件の話も出てきました。
これですね↓。知らなかった学生もいたので、絶句でした。
そんな様々な意見が出る中で、浮かび上がってきたものは、
「ボランティアにしても何にしても人の為に何かをするとき私たちは見返りを求めているのではないか?」
「本当の善意は存在するのか??」
という事でした。
そこで出た意見は
・動機がどうであれ助ける事によってその人は助かるのだから、助けないよりはいい
・NGO・NPOもイデオロギーが強くなる。自分の主張だけが正しいとするところも確かにある。だからこそモチベーション(動機)はなんだったのかという事はとても大切だと思う。
・お金を得る事が第一になって、ほんとにその人のためになっているのかが検証されていない現実もある。
・根本原因が解決されないままにいくと、時間と共に取り返しのつかない暴走を招くことがある。
・宗教の教えの中で、天の国に積むという考え方があるが、これもある意味、見返りではないのか?
・ボランティアという問題もあがっているが、ボランティアはWin-Winの関係が必要である。
その見返りがお金になると汚いように見えるが、そうでない事柄もある。
・キリスト教でも慈善活動と引き換えに宣教しようとする団体もある。ただそれは許されない事であり、そんな活動はすぐに現地の人々に見透かされる。
・見返りを求めてやったとしても、人とのつながりを通して自分の浅はかさを知る機会も与えられたりする。
だから見返りを求めているかを頭ばかりで考えるのではなく、まず人との出会いをするために実際に行動することが大切だ。
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今回は、とても慈善活動をする中で本当に考えさせられる問題提議だったと思います。
私にとっても、様々な慈善の活動をしていると見返りを求めたいという衝動に駆り立てられることは確かにあることを伝えました。
しかし、今日の箇所はそれを全否定する箇所です。
ですから私たちは迷ったらここの箇所に戻る事が大切ではないかと伝えました。
マルティン・ルターは、「義人にして未だ罪びと」といいましたが、
まさにその自覚をもって歩んでいく時に、
そしてそれを悩みながら慈善活動をしていくなかで、
人との出会いが与えられるとき、答えが与えられていくのではないか?
というお話をしました。
こう出るべきだ!という中で活動するより、
悩みながら活動していった方が人との出会いの中で答えが与えられ、より私たちの視野が広がると思うのです。
ともあれ、今回もよき時が与えられました。
また聖研のあとは、就活をしている学生さんと積もる話をして深夜零時近くに帰宅しました(汗
彼らの成長が今後も楽しみです。
まずはテストかな(笑
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http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/917/第54回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -善きサマリアびとから-善意とは?
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