花園教会では今から9年前に教会学校という名称から「ジョイフルクラブ」という名称に変更しました。
それまで教会学校に来ていた子ども達が小学校から中学、中学から高校にそれぞれ進学したことによって教会学校に足を運ぶ事がほとんどなくなり、
一時期は開店休業状態で、子ども達が教会に来ることがなくなったことが大きなきっかけです。
なぜ教会に子ども達が来なくなってしまったのか?
教師みんなであらゆる問題点を話し合いました。
・名称が「学校」という事もあって、学校の延長線と考えられてしまい楽しい雰囲気が伝わっていない。
・部活などで来れない。
・学校周辺でトラクトを配ることができなくなった。
などがあげつつ、そのような中で私たちにどんな働きができるのだろうかと話し合い続けました。
しかし、すぐには結論が得られないまま歯がゆい思いをもちつつ時は過ぎていきます。
そんな中、新生児を連れた親子連れが教会に来られた事をきっかけに
・教会学校の「教育」から「共育」へとプログラムを変更する事を決め、
それまでの教会学校プログラムを一新。
それまでの礼拝形式のプログラムから、絵本の読み聞かせ・リトミック体操などを中心にみ言葉を伝えていくプログラムに変えていきました。
教師対象の絵本の読み聞かせ・リトミックの実践講座・勉強会を毎月実施。
しかし初めての事なので、最初は悪戦苦闘しました。
すでに図書館・NPOや児童館でも絵本の読み聞かせなどは行っていましたし、それらのクオリティからみると断然、質は低いものでした。
ですから、ポスターを見て期待して来られた初めての親子連れをがっかりさせてしまいそれっきりという事もしばしば。
しかし、そんな中でも毎週子どもが1〜2名であっても、子どもが与えられている自体に感謝しつつ必ずときは与えられると信じ、やり続けました。
それから3年後、共育プログラムも地に足がついてきたとき、『発達障害』という問題と闘っておられる人たちがいる事を私たちは知られます。
今では『発達障害』というのは認知されてきていますが当時はほとんどの方が知らなかった時代で、発達障害は親の教育が悪いという認識が今よりも濃いときでした。
そのような状況があることを知らされたジョイフルクラブはその問題に取り組み、
ジョイフルクラブの根本概念として「闘っている子ども・苦しんでいる子ども・悲しんでいる子ども達と共に生きる」という事を掲げました。
そしてその際に、朝9時から始めていた時間帯を変更し、子ども達が集まりやすい現在のお昼の1時10分〜に変更しました。
丁度、花園教会に発達障害を専門にされたお医者さんがおられ、その方を講師としたり、教師だけでも勉強会を開くなど毎月行い、2年間行いました。
その間に、教会にそのような子ども達が与えられ、私たちにとっても理論と実践の場となりました。
そして少しずつ少しずつ様々な家庭環境・状況の子どもが1人また1人と徐々に増えていきました。
そんな中で子ども達の成長を間近で見ているとき、思わされたのは
【子どもも大変な状況で、遊び方を大人たちから教わる機会がない】
という事実です。
そこで、京都という地域性を生かして、日頃触れる事のない自然と触れ合う機会をジョイフルクラブで作ろうと、
里山でザリガニ釣りや川遊び、水槽展示もこれがきっかけです。
そして交わりの機会を持つためにBBQ、テレビゲーム、スポーツ
も加えていき、
今の形が出来上がっていったのです。
ここまで来るまでに、教師をはじめ、教会員、多くの方々の祈りと尊い奉仕があったからここまで来れたというのがこれを読んでいただいた方にもご理解いただけると思います。
しかし、まだまだこれからです。
子ども達が増えてきたことは大変うれしいですが、それと同時に子どもと触れ合い・子どもの想いを共有してくれる若い教師が一人でも多く与えられるようにというのが今の祈りの課題です。
これからもジョイフルクラブの応援をよろしくお願いします。
最近のジョイフルクラブでは子ども同士の共感力を培うために、
「先週、自分が頑張った事、よかった事」を一人一人披露する時間を設けています。
悪いことは何もしなくても自然と記憶に残りますが、楽しいこと・良かった事は考えないと記憶として理解されないという事が心理学でいわれているようです。
最初は、やる気のなかった子ども達も、自分の頑張った、自慢できる事をこの場で披露する事が楽しくなってきたようです。
この子は、自分の作った絵本を披露してくれました。
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http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/876/教会学校からジョイフルクラブへ -挫折からの出発-9年間の軌跡 【教育から共育へ】
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