今日は少し真面目な話をしたいと思います。
今日本ではODAを軍事関連に使用することも決定し、今日のニュースでは東大が軍事関連の研究を始める事が報道されました。
これはどういう事が出てくるのかというと、人を殺す武器にmade in Japan が出てくるという事です。
ほとんどの日本人がこれに対してピン!と来る人はいないでしょう。
なぜなら紛争地に行ったことがないし、これからも行く事もないでしょうし。
ただ、私は10年後・20年後について大きな不安を感じています。
ちょっと10年後・20年後を自分なりにシミュレーションしてみました。
10年後・20年後、日本は技術が優れている分、軍事関連でも台頭してくれるでしょう。
世界のトップになるかもしれません。
そんな中で、世界へと出ていく青年たちがもし紛争地にボランティア活動に行ったらどのように思うだろうかと思わされます。
日本から人を助けに、紛争地に人道支援に行く中で、まず見るのは武器によって家族・友人・子どもを殺された人たちの現状でしょう。
そしてそこで話を聞くはずです。
なぜ紛争が起こったのか?
そこにはどんな武器が使われていたのか?
私も実際に調査の中でそんなやり取りが普通にありました。
今は紛争の為に使われている武器はアメリカ製が多い。
ただ今後は、日本製も出てくるでしょう。
もし、人道支援に加わる日本人・若者が、日本製の武器によって家族・友人・子どもを殺された人たちに出会ったとしたら、目の前にそのような人たちがいたら、その日本の若者はどう感じるでしょうか。
私なら確実に萎えますね。
私が紛争地において、紛争のきっかけが農民の格好をし他の国の最新鋭の自動小銃を使って銃を乱射した話を聞いたときには大いに萎えた経験があるからです。
しかし、これがもし自国の武器だったら、、、、
青年たちはこの矛盾に耐えられないと思います。一方では人道支援、、一方では日本製の武器で殺される。
大いなる矛盾であり、何を信じていいのか分からなくなるでしょう。
そんな自暴自棄になって帰国した青年たちから愛国心が沸くはずもなく、日本国内で様々なモラルの問題が出てくるでしょう。
そうなってくると武器の正当性を語る必要が日本政府には出てくるだろうし、そうなると手っ取り早いのは武器を持たせることです。
ですから、徴兵制というのもあり得る事だと思います。
他国でも武器の正当性を持たせるために、武器を持たせるんですから。
これらの事は私のいち個人のシミュレーションでしかありません。
ただアジア・アフリカ、紛争地・貧困街、釜ヶ崎、ホームレス支援活動を経験してきた自分としては100パーセントあり得ないという事が断言できない不安が大いにあります。
不都合なものと戦わないといけない時もあるでしょう。
家族を守るため戦わないといけない事もあるでしょう。
しかし、そこには大いなる責任が課せられるのです。
死は、憎しみ・怒り・嫉妬を生みます。
軍事関連に踏み出すという事はそういう事です。
その責任を負う決意が日本人にはあるんでしょうか。
奴隷解放をきっかけにアメリカで南北戦争が起こりました。
これはアメリカ史上最悪の戦争で、このときの死者数はのちの戦争でも上回ってはいません。
リンカーン大統領はその南北戦争の最中の2期目の大統領就任演説でこう言いました。
英訳
「Fondly do we hope ― fervently do we pray ― that this mighty scourge of war may speedily pass away.
Yet, if God wills that it continue until all the wealth piled by the bondsman's two hundred and fifty years of unrequited toil shall be sunk, and until every drop of blood drawn by the lash shall be paid by another drawn with the sword,
as was said three thousand years ago, so still it must be said, "The judgments of the Lord are true and righteous altogether."」
和訳
「われわれが愛情をこめて希望し、強く祈るのは、神による戦争という悪がすみやかに過ぎ去ることです。
しかしながらもし神が、奴隷が250年間にわたる無報酬の苦役で蓄積された富がなくなるまで、
そして、むちにより流された血の一滴一滴が剣による血であがなわれるまで、戦争を続ける意志があるならば、3000年前に言われたとおり、
「しかしながら神の裁きは正しく、絶対なのである」と現在でも言わなければなりません。」(katokt 訳、制作:バウッダ、公開日:2003年10月26日)
奴隷によって得た富は、流される血によって贖わなければならないというこの大統領の決意。
そしてその大統領も南北戦争末期、暗殺されました。
リンカーンが息を引き取った建物。
日本も武器の提供で得た富を、流される血によって贖われなければならないときが来るかもしれません。
今、なんとなく武器解禁になりつつある中で、もう一度私たちは、大いなる責任が日本国全体にあるという事を私たちは理解する必要があるのだと思います。
暗殺現場のフォート劇場。
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http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/864/【考えてほしい!】ODAの軍事関連出資・東大の軍事研究解禁など、10年・20年後を考えてみる。
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