皆さんあけましておめでとうございます。
2017年が始まりました。
2016年は私たちにとってどのような年だったでしょうか。
それぞれ様々な想いが錯綜する年であったと思いますが、花園教会にとってはチャレンジと多くの方々の支えが与えられた年となりました。
昨年10月30日に花園教会水族館がリニューアルオープンし、また花園教会は新たな一歩を踏み出しました。
私たちがこのような一歩を踏み出したのは、花園教会・そして主の福音を多くの人々に知っていただくためであり、また今来ている子ども達、特に苦しみを持っている子ども達と寄り添う事の形を示す事でもありました。
そしてすでにその事柄のひとつとして毎週水曜日に不登校者向けの学習会をこの12月から行っています。
また水族館のリニューアルオープンに合わせて聖パウロ館(集会所)の使い方も変わり、まだまだ発展途上ではありますが、「コケ玉教室」を開いたりまた今年からはオープンカフェも月1回程度行う予定です。
さて私たちはこのようにこの現代社会の中でチャレンジが与えられているわけですが、
アメリカの神学者であるラインホルトニーバーは、人間には「存在の深み」があるといいます。
それは、理性など私たちが行動する事によって神が私たちを作ってくださったことの存在を知る事も一助になる一方で、
その存在の深み、つまり神の啓示については信仰によって与えられており、それを理性で実証する事は難しい。
例えば、友情とか愛というのは目では見る事が出来ず、実証する事は出来ないけれども、私たちはそれを信頼する事によってカバーします。
これが「存在の深み」です。
つまり私たちで言えばこれまで聖パウロ館を建設し、水族館をリニューアルして自分たちでできる事を行ってきたけれども、
そこに主の恵みが与えられていくという事柄は信仰であり、
それはまさに「存在の深み」といわれるものなのです。
しかし私たちは、主の恵みが与えられている事を信じ、
働く中で、信仰によって信じつつも、それを目に見える形で求める事によって、あるものが生まれるとニーバーはいいます。
それは何かというと「不安」です。
私たちは目で見える形を求める時、自分が不完全であるに拘わらず、
完全な行為、完全な正義、完全に善い人、完全な知識を求めます。
けれども、それが不完全に終わってしまう。
私たちは精神的に考える存在ですから、そのような不完全に対して、人生の意味を求め、理由をしろうとします。
勿論、そこで見つかる答えもあると思います。しかし、それは見出したとしてもその答えはいつ消えるかわからない。
まさにそのような不安が私たちにはあるのです。
2017年は2016年の取り組みをより具体的にしていく年でありますが、そのような中であるからこそ私たちは「不安」を持ってしまいます。
社会的にもそうですね。現在の社会情勢なども大きな不安がいっぱいあります。
しかし、そんな不安をもっている者だからだからこそ私たちは聖書に立ち返りたい。
今日の箇所は、パウロが教会の在り方を示した聖書の箇所です。
またパウロ自身は、迫害・投獄などを経験する中で大変な中、人間としては不安を持っている中でも信仰によっては力づけられていく根拠が記されています。
まさに不安に対しての光を示しているみ言葉が第二テモテ1章7節
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」です。
私たちはこのみ言葉をこの2017年最初のみ言葉にしたいと思います。
2017年がどのような年になるか私たちには全くわかりません。
しかし、私たちは理性によって行動しながらも、存在の深みを信仰によってしり、み言葉によって立ちたい!そう思うのです。
私たちが不完全である以上、不安がなくなる事はありません。
けれどもその不安に勇気をもって打ち勝つことはできるのです。
皆さんで読みましょう
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」
神は、主イエス・キリストを通して私たちに力と愛と思慮分別の霊を皆さんひとりひとりに与えられています。
だからこそ、今年も2017年もこのみ言葉を通して、主を信じて進んでまいりましょう!
主の祝福が大いにありますように!
祈ります。
COMMENT