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-腹を立ててはならない-第69回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会

ここ3か月ほど、聖書研究会の様子をアップできていないので久しぶりにアップします。

勿論、聖書研究会は毎月欠かさず行われていますよ(笑

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9月という事もあり、後期の目標を学生たちから聞きました。

・授業に出て、後期7単位を取らないといけない。
・卒業を目指す。
・あと14単位、卒業がとてもタフだ!
・60単位ほど残っている。

・卒業を頑張る。16単位取得し、卒業単位はとる。卒論を頑張る!

・金遣いが荒いので50万円を目標に貯金!!
・卒業を目指す。山場を越えた。

などなどがありました。

さすがに後期は高学年になると単位取得ですよね~。

さて、今回の本題は

「マタイ5章21~26節 腹を立ててはならない。」

<感想>
・腹を立てる前に謝る事が必要じゃないかという事ではないか。
・結構腹を立てる事ってあると思うんだけど、これはいけない事だったんだと思う。
・腹を立ててはならないという優先度が高い!怒る原因を早く解決しなさいという事。
・怒る事は双方向である。
・動いてみる。自分で変えられるからとりあえず動くことが大切なのでは。

という意見がでました。

また【腹が立ったストーリーを教えて!】という事で

・あんまりない。厨房の生ごみをなぜ捨てないんだろう。生ごみを捨てる人が決まっている。
魚をさばいた人はなんとかしてほしい。
・ヤフー知恵袋-顔を見ていないのか誹謗中傷する人が多いところがあって腹が立つ。
・サークルの話でむかついたけど、癒された。

サークルの同期と喧嘩した。その後、接点がなくて、怒っている間は修復できたかもしれないけれど、今では修復もできなくなってしまった。

というそれぞれの物語を聞かせてもらいました。

ーーー
そのような中で課題として出てきたのは

・相手が悪い・自分が悪いという事はない。腹が立ったときに和解ができるかどうか。
・自分も同じような事をしているのではないか?
人を非難すると自分もできていないのではないか?

→自分も悪かったと赦すことはあっても仲直りはできない。


という事。

では、和解というのは仲直りなのでしょうか?

神学者カール・バルトは、赦しは転換であると言いました。


私達が赦すときというのは、精神的な余裕があるのではないだろうか。


ではなぜ精神的余裕が出てくるのか?

それは、「神に委ねる」・「祈る―委ねる」という自分とは違うものに解決を求めていくときに精神的な余裕が生まれると同時に、他者の事も考えられるし、祈る事ができるのではないだろうか。

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このような事を共に話し合いました。

感謝!!



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