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京都・花園キリスト教会

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「青年の輪【国際交流・京大聖書研究会etc..】」記事一覧

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明日は我が身。保険が効かず教会が破産する事もあり得る身近な自然災害の問題。 <台風21号被害から考える>

すでに、フェイスブックなどのSNSで議論が出ておりますが、ブログでも発信させていただければと思っております。


<今回の災害で解せない事があります>
キリスト教問わず宗教界にとって大きな問題かと思う点。

それは風災による飛来物の保証の問題です。

今回、私たちの屋根から落下したものが隣の方の新車を傷つけてしまいました。

保険会社に聞くと、【今回のケースは、不可抗力と見なされて賠償責任は発生しません】と模範解答をいただきました。つまり保険はでないと。

ですので、教会は選択を迫られます。

①相手方にうちは賠償責任がないと言って突っぱねる。
②道義的責任を感じて教会が自腹する。
の2択です。

でもこれ、道義的な事を伝える&地域に貢献しようとする宗教施設について①を選択する事はほぼできません。

そう考えるともしこれが人的被害だったら、、、

極端な話、屋根の下敷きになって人を死なせてしまった場合、宗教施設はその道義的責任から多額の費用を負担せざるを得ない事になりますのでその施設に財力がなければ破産するしかありません。
もし賠償しないとつっぱねたとしてももうその施設は地域から見放されるでしょう。

つまり死に体です。

これは宗教法人法にも定めてある(宗教団体の定義)の第二条 この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。

主たる目的である【教義を広める事】も【強化育成する事】もできなくなります。


ですから今の日本の保険制度では、宗教施設を風災から守る保険はない事になります。

逆に賠償責任として保険が使えるケースは、飛来物の所有者が明らかな不備・欠損がある場合だそうです。
つまりこれは
〇誠実にやっている宗教施設はいざとなった場合は保険が効かず、自己負担をする。
〇誠実さがなく屋根の修理が明らかに必要で今にも隣に落ちてくるような状況で台風が起こり、損害おこした施設には保険が効く。

・・・これおかしくないですか??

実はこれ、老朽化している宗教施設にとって死活問題です。

教会などは、特にジリ貧のところが多いのが現状です。

たぶんどの施設も火災保険はかけていると思います。
だから安心しているところも多いと思いますが、今回の私たちの問題はその保険が保証されない抜け道を露呈しました。

私たちの教会も大手の保険会社の火災保険をかけました。できる限り手厚く保証したつもりですが、それでも現状はこれです。

今回、まだ名前はあげられませんが保険会社に今回の件を文章をもって回答いただくようお願いしております。

他の施設にとっても対岸の火事ではないと思われます。

不幸にも今回、私たちにこのような問題が出てきてしまいましたが、これからの教会そして宗教施設にとってもひとつの大きな参考材料になろうかと思いますので、この問題については今後、保険会社に対しては今後の対応なども考えていただきたい観点から、【公開質問状】なども検討していきたいと考えております。

まずは現状の保険に関する事柄を是非とも特に宗教界の皆様には知っていたければと思っております。

もし今後もそのままでしたら、宗教界専用の保険がほしいところです。


<SNSなどでのコメント>
これは教会だけでなく、誠実な人が常に直面する問題です。不可抗力で賠償責任免責という仕組みは、自分ではどうにもならない出来事によって青天井の責任を負わされるという不条理から所有者を保護するために成立しているので、それ自体は結構なことです。しかし、だからと言って、近隣の人間関係の中で、法律では責任がないからといって突っぱねることができないのも事実です。


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第82回 京都大学YMCA地塩寮聖書研究会ーイエスの伝道とは-

本日も午後8時より~京都大学YMCA地塩寮聖書研究会が行われました。

今回は7月に行われたイエスの生涯をドキュメンタリーたっちで描いたDVDの続きです。

今回はイエスの伝道について。。


ヨコの段ボールの束が私は気になりました(笑


私は今回で終わると思っていたら、あと一回あるんですね。次回は最後の晩餐と十字架なのでクライマックスです。

ですから今回はちょっと消化不良だったんじゃないかな?と思いますが、それでも学生たちのからは

・イエスの時代の顔の平均値がわかって面白かった。
・税金が収入全体の三割で、しかもほとんどが貧しい世帯にも拘らず3割取られてるという事に、当時の社会生活の厳しさを知った。
・5歳児まで生きられないというのはショック。
・聖書では神聖な感じがしたが、イエスがとても人間ぽかった。
・奇蹟は本当にあったのだろうか??

様々な疑問がでて、それに対してみんなで色々と話す事が出来て、今回もいい時が与えられました。



11月はクライマックスを続けてみます!!


第80回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -種まく人のたとえー

先日、80回目の聖書研究会が京都大学YMCA地塩寮にて行われました。

8月は帰省したり・バイトしたり・旅行したりする学生もいるので

まったりとした雰囲気でやるのが恒例となっていますが、近年では珍しくこの時期としては人数が増えました。




感謝ですが!夏休みを是非ともエンジョイしていただきたいものです。

夏はバイト!という事で、みんなでどんなバイトをしたことがあるか?どんなバイトをしたいか?

というお題から始めて話し合いました。

その中でカードバトルの仲介とバイトがあるようで、

最近は子どもから大人までカードゲームが流行っています。

そのカードゲームのルールを初心者にもわかりやすく伝えるのがそのバイトだそうで、

けっこう時給もいいとか?

色んなバイトがあるんだなあと思わされました。

私もバイトはかなりの数こなしたのでその話やネットでは書けない裏話などを話したところ学生たちはとっても驚いていました(笑


さてさて本題に移りますが、今回はマタイ13章1~23節【種まきのたとえ】です。

キリスト教会では有名な箇所ですが、

ここを読んでの感想は、

「この話は普通に当てはまる。というのは 何をすればいいのかという事がわかっていても継続ができない人が多い。これは現代でも同じではないか。」

・良い土地という言葉の隠喩が難しいが、これは人から言われたり・アドバイスなどもあった際、それを続けていく事で結果が出てくるだろうし、
スポーツでいえば、努力が一番であり、それをし続ける事が良い土地という事ではないか?

と思わされた。ここはとてもすんなり納得できた。
聞く者は聞きなさいという言葉が印象的。
等々。


チューター(牧師)の意見:
確かに「聞く者は聞き来なさい」というのは印象的だが、
当時の社会を見てみると、「イエスの声は小さい。つまりどちらかというとマイノリティ。」であって、お前みたいな小さい奴の声は聴かないという雰囲気は大いにあったと思う。
つまり権威・お金がものを言っている時代。
そのような中にあって真実の小さい声をどれだけ、聞けるか?という問題でもあると思う。

これは私たちにも言える事で、自分の置かれている状況・環境の中で、そのような小さい声を拾えることができるだろうか?という問題を突き付けているのではないだろうか?
私たちは人生設計をする時に、自分の順風な未来を描く事が多い。

けれども、そんな人生の中で突然の出来事というものが訪れる事がある。

その際に、この聖書の御言葉のように、み言葉を悟る事がなければその出来事は突然の不幸な事柄で終わってしまう。イエスという人物が十字架に架かった事は大変悲劇なのだが、今のキリスト教ではそれは希望として伝えられている。

それはなぜなのだろうか?

それと同じように種が良い土地に落ちるという例えは、突然の出来事がみ言葉の柱によって不幸な事柄から希望の道へと変えられていく事を意味しているのではないか。

勿論、順風に行く事も大切だが、それ以上に突然の事柄に対しても立ち向かえるような言葉を、是非とも聖書からもらってほしい。

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学生たちの今後が祝されますように!

第79回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 ~イエスの幼少期とは~

今日は、京都大学YMCA地塩寮聖書研究会でした。

みんな試験期間という事もあり、忙しいだろうな~という事&聖研でもっとイエスの時代背景を知りたい!という声があったので、今日はみんなで、

考古学から考える【イエスの幼少期】

のドキュメンタリーたっちの映像を見ました。

人は少ないだろうなあと思っていたら、

12名以上の学生が参加!



みんな試験の現実から離れたいのね~!!(笑


1時間ほどの映像でしたが、好評でした。

こんな感想が

ーーーーーーーーー
・少年イエスがイケメンだった。
・クオリティが高かった。
・富裕層と貧困層の構図がよくわかった。
・イエスの生まれたのは馬小屋じゃなかったの?
・衛生環境が非常に悪くて、5歳まで生きられる確率が低く、また女性が出産と育児の繰り返しという人生だった聞いてびっくり!
・バックグランドを聞いてイエスに親近感がわいた。
一人っ子だと思っていたが、兄弟がいまくりでびっくり。
・計算・翻訳間違えた記述などが聖書にあるが、意図的なバイアスを感じた。
・イエスはアウトサイダーだったんだな。
イエスも普通の人間だった。
・エルサレムの支配階級を見ていると現代にも繋がるような気がする。
・イエスが、エルサレムに行った時の心境は、あまりの違いに気持ちがなんだかざわざわしたんだろうなと思った。
・木がない環境というのはホントに過酷。
飢饉や疫病が流行っていたにも拘らず、また貧困なのに識字率が高いという事に、宗教教育の熱心さにビックリ!
・ドキュメンタリー自体にメッセージ性があり、それ自体にもバイアスがかかっていると思う。ローマの支配のいい影響もあるだろうとおもった。
・聖書ではたとえ話が唐突に出てくるとこれまでおもっていたけど、これは彼の人生経験が背景にあり、上から目線ではなく、横目線だったという事がわかった。
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等々。


ともあれ、イエスの少年時代の記述はルカの福音書にしか出てきませんので、どんな生活をしていたかは想像するしかありません。

けれども、考古学が発達し、段々と背景が見えてきました。

ただ、これ自体にもやはり偏見は入っているだろうから、色々と情報を集める事も大事だと思います。

また、人間イエスという見方が出てきたことはとても嬉しい事です。

雲の上の人ではなく、より私たちに近い・いや同じだという視点は、イエスへの新たな好奇心を駆り立てるでしょう。


イエスの宣教についての映像は10月に視聴する予定!

乞うご期待♪





第77回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 ~隣人とは~

この聖研も77回を迎えました。

そして新一年生も4月に迎え、その新一年生がこの5月も率先してきてくれました。

いやー嬉しいですね。

ニュージェネレーションズの勢いを感じます。




そして、今日は外部からも2名も来てくれました。

聖研の面白さを伝えてくれての結果ですが、

「人を呼べる・また呼びたい聖研になってきたんだなあ~」

なんだかしみじみ嬉しいですね。ジーンときます!

さて、そんな聖研ですが、全然関係ないですが、

今アメリカで話題になっている「ハンドスピナー」を紹介しました。


私も結構はまっています。楽しいです。

聖研中もずっと回してました。



ともあれ、今日のアイスブレイキングでは

【入れ替わってみるなら誰?】というお題から始まりました。

・色んな理由がありました。

背が高い人に入れ替わりたい!、朝早起きしたい!、女性・男性と入れ替わりたい!

ストイックさがほしい!

など様々な意見がでました。

さて、本題ではルカ10章25~37節の【善きサマリア人】がテーマに!


有名な箇所ではありますが、新しい人たちで議論するとそれはまた違う意見が出て、新鮮でした。

その中でも「隣人とはなにか?」という事が学生たちには「?」が多かったようです。

他にも「愛するということがよくわからない。」
「永遠の命ってなに?」

「隣人とは寄り添う事ではないか?」

様々な意見が飛び交いました。

今回も人数が多かったですが、いい議論ができました。



私からは「是非とも、隣人を感じるというところから始めてみてください」と伝えました。

感じる事は結構難しいし、楽ではありません。

でも他者を感じる時、今まで自分の中では見えなかったものも見えてくる。

これからここにいる学生たちが世界のいろんなところに出かけて行くときにも、思い出してほしいですね。

必ずそれらが糧になる事でしょう。


今日の聖研も感謝!

第75回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -それぞれの宗教観-

聖書研究会については久しぶりの記事になります。

勿論、記事にしていなくても毎月行われています(笑

さて、今日は本年度最後の聖書研究会でした。

今回のアイスブレキングのお題は

「ギャップがあった事」でした。

・海外に行った学生たちの話を聞いたり、

・大学内での話やお弁当の話。

・ポケストップになっている場所が、キリシタンの処刑場になっていた場所もあったなど、


さてその後の聖書箇所は

【ヨハネによる福音書3章16節】

キリスト教会では有名な聖書の箇所。

そんなところから、それぞれの宗教観を聞く機会が与えられました。

ただ今回はプライベートな事でもあるので記事にはしませんが、

私(筆者)の宗教観をちょっとお話しします。

1993年にB'zが「愛のままにわがままに僕はきみだけを傷つけない」という曲が大ヒットしました。

私自身もこのCDを持っており大好きな曲ではあるものの、ある歌詞にいっつも引っかかっていました。

それは、

「信じる者しか救わない、せこい神様拝むよりは、、、」というくだり。

これは当時中学生だった私にとって、

「キリスト教の事をいっているのだろうか」と悩んだ思い出があります。

その2年後、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、

宗教=悪 というイメージが出来上がり、

私がキリスト教徒である事をひた隠しにしなくてはならないような世の中の風潮となっていきました。

親友と思っていた子に自分の事を打ち明けた時も

『宗教が存在するから戦争が起こるんだ!』

と一蹴され、より深く悩んだことを思い出します。

そんな中で今回の箇所を読むと、

確かに「信じる者が1人も滅びることなく」という部分があのB'zの歌詞を思い出させ、引っかかっていました。

しかし、その次の箇所を読むと、「・・・裁くためではなく、世が救われるために」という言葉をのちに発見します。

16節はあまりに有名なのでここばかり取り上げられる一方で17節はあまり目に留まっていませんでした。


どんなに聖書の言葉が真理であっても、読み手の環境や状況によっては、読み手は16節を「選民」と捉えてしまう恐れもあり、裁きのベクトルを他者に向けていく。

でもイエスの生き方は

まさにそんな『選民意識』をぶち壊すはずだったのであって17節の箇所も16節と同様に重要な箇所であると思うようになりました。


その意味で、救われるために来られたのだから、そのために

「じゃあ今の自分は何をすべきだろうか?」

と他者にではなく自分にベクトルを向けていく事で反省から新たな使命も与えられ、新たな一歩を踏み出していけている。

それが私の宗教観です。

そんな事を学生たちに紹介しつつ、

今日で、学生最後の聖書研究会になった子もおり、

『自分にとっても日頃、友達には聞けない質問もここでは寮生たちの意見がきけてありがたい場になっている。』


『ここのおかげで自分の広がりや気付きが与えられた』



と、感想をいただきました。

ホントに感謝な事です。牧師冥利につきますね。


社会へ羽ばたく学生に主の祝福が大いにありますように!



第72回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会(クリスマスバージョン)

先日、72回目の聖書研究会が京都大学YMCA地塩寮にて行われました。


今回は12月という事でクリスマスバージョン。

前半はクリスマスキャンドルサービス。




後半は祝会です。




お陰様で72回を迎えました。この6年間、一度もお休みがなかったのはすごい!と思います。

私は震災支援の関係で2回ほど出席できませんでしたが、その時は学生だけで実施してくれました。


前回はヤローばかりのクリスマスでしたが、今回は女性が入ってきてくれて、会場も華やかになりました(笑

ケーキも作ってくれましたし!感謝!



いつものようにプレゼント交換も!


今年は、初めてプレゼントらしい本を頂きました!!

 


来年も聖書研究会が守られますように!!









花園教会ってどんなとこ?

主日礼拝:毎週日曜日
10:30~12:00




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礼拝メッセージ集はこちら

絶望のあるところには希望を

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