さて、今日は放射能と原発問題を考えます。
先月、学生たちを連れて京都大学原子炉実験所助教 小出先生に会いに行き、会談し、
その様子をこのブログでも紹介しましたが、
その様子はこちら⇒ http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Category/25/#entry601
今日はその時の様子を関西学院の学生が文字起こしをしてくれたのでそちらを紹介します。
かなり長いので前編と後篇に分けることにしました。(関西学院&ブリッジアイドル 原田千尋さんありがとう!!)
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2012年8月14日
京都大学原子炉研究所 小出助教対談
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質問:原発事故後、福島から関西に避難してきた方と会う機会があった。
規制されているエリア外から避難された方に話を聞くと「避難しろとは言われてないけど、自分を信じて逃げてきた」と言う。
福島にはまだ、残りたいと思って残っている人もいる。
そのような人間的な感情を優先するべきなのか、それとも、国が危ないから避難しろと強制的に避難させるべきなのか。
これに関して、先生はどのような考えをお持ちですか。
(関西学院大学 原田千尋)
回答:分からない。
福島から吹きだした放射能により地球上、汚れてない場所がないというほど汚れている。
特に福島を中心として、信じがたい汚染がある。
今日お越しいただいた原子炉研究所は、放射能を取り扱うところ。
でも、この会議室は放射能を取り扱ってはいけない。放射能は管理区域外では使用してはいけないという決まりになっている。
管理区域を出ようと思うと、必ず出口で放射能の検査を受けなければならない。
具体的な数字は、1平方メートルあたり4万ベクレルという基準。
その数値を超えているなら、実験着はゴミとして燃やし、手が汚れていれば汚染が落ちるまで洗わなくてはならない。それが、これまでの日本の法律。
管理区域外では、どんなものでも存在してはいけない。
私は、被爆を少なくするため、汚れたものを管理区域内で納めるよう努めてきたが、今は、1平方メートルあたり4万ベクレルを超える大地が東北地方を中心に広がっている。
広大な大地が汚れている。そこで、子供たち含め生活している。
全部を逃がそうと思うと、国家が倒れる。
それに気づいた日本国家は1平方メートルあたり60万ベクレルを超えたところは、さすがに住まわせられないと言って約10万人を避難させた。
それ以下は、勝手に住めと言い、国家としては支援も補償も何もしていない。
逃げたいやつは勝手に逃げろという姿勢。
そういった場所に何百万人もの人が取り残されている。特に子どもを持つ母親は、放射能の汚染を大変気にしているため、逃げてきている。私はそれが正解だと思う。
ただ、そこに長い間住んでいた人たちは、生きてきた場所への執着がある。
農業、酪農、畜産をやってきた人にとつては土地そのものが命である。
放射能で汚れているからといって、逃げることが出来ない人たちはたくさんいる。
そういった人たちに「逃げろ」と私は言えない。逃げることが正解だとは思うが、言えません。
それぞれ人がどうやって自分の人生を生きるかを、自分自身で判断してもらうしかない。
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質問:放射線の人体への影響に関して。
1人あたりの自然放射線2.4ミリシーベルト
一般人の線量限度が1.0ミリシーベルト
なぜ、一般人の線量限度より、自然放射能のほうが高いのか。
(京都大学 門間ゆきの)
回答:地球が出来たときは火の玉で、命なんて生きられなかった。
それが、ある時雨が降り、海ができ、大気が出来た。
何億年かかけて変化をしてきた。
宇宙には宇宙線という放射能が飛び交っている。
大気が宇宙線を遮ってくれるようになり、40億年前に命が生まれた。
宇宙線のほかにも、いろんな放射線があった。
今も残っている自然の放射線だと、ウラン、トリウム、カリウムなどがある。
ウラン238は半分に減るまで45億年かかる。
トリウムの232は半分になるまで140億年かかる。
長い寿命を持ってうまれた放射能が今もこの世に残っている。
そのため、世界平均では、2.4ミリシーベルトの被ばくは避けられない。
地面にまだ残っているものもあり、一部は宇宙から入ってきている。
それは、決して安全ということではない。
皆さんは、ここまで生きるのに困難を抱えていないかも知れない。
しかし、ご存じの通り先天的な障害を持っている子どもは生まれている。
生きることに困難を抱えている子どもたちの、一部の原因は自然の放射線である。
被ばくは出来る限りするべきでない。
現在、社会では放射線を様々なところで使用するようになった。
たとえば、医療で用いるX線や、ブラウン管なども放射線を出している。
豊かな生活を送ろうとするのなら、人工的な被ばくを避けられない。
我慢の線を年間1ミリシーベルトくらいに設定すれば、自然にあびる放射線に上乗せして大丈夫だろうという考え方である。
私が信頼している危険度は2500人に1人は癌で死ぬ。
2499人は死なないのだから、それくらいは日本に生きる限り我慢しなさいという値が年間1ミリシーベルトである。
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質問:自然の被ばくはしょうがないとして、それにプラスで年間1ミリシーベルトが限度ということでしょうか。
回答:それを決めたのは、国際放射線防護委員会という国際的な組織。
それを各国の政府が受け入れたといいうこと。
ひょっとすると、1ミリシーベルトという値も高いかもしれない。
私は、原子力なんていう馬鹿げたものからは一切の被ばくを受けるべきではないと考える。
原子力から受ける被ばくは0ミリシーベルトであるべきだ。
それもまた各自の判断にゆだねられる部分が大きいと思う。
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質問:原子力発電の際に、材料となるものの中にリサイクルできるものがあると聞いていた。しかし、他方でリサイクルできないものもあると聞いている。それはなぜか。
(同志社大学 村田レナ)
回答:なぜ、私がここにいるのかといえば高校のとき原子力に夢を抱き、東北大学に入ったため。
なぜ、原子力に夢を持ったかというと、東京に住んでいた頃、町が猛烈にエネルギーを消費する姿に激変した。
そんな時、化石燃料がなくなると言われ始めた。
私は、人間が豊かに生きるためにはエネルギーが必要だと思い、原子力の世界に入った。
しかし、入ってから勉強するうちに、原子力が使おうとしているウランは地球上にはほとんどないことを知る。
ウランには、核分裂するウランと核分裂しないウランがある。
核分裂するウランは、質量数235番というウランだが、それは、ウラン全体の中の0.7%しかない。
だから、核分裂するウランをどんなに有効に使ったとしても石油、石炭に比べ非常に貧弱なエネルギー源だと気付いた。
でも、原子力を進めようとしていた人はもともとウランでなくプルトニウムに期待していた。
しかし、プルトニウムというのはこの地球には一粒もない。
プルトニウムを最初に作ったのは長崎の原爆。
それも、ウラン235と一緒で核分裂をする。広島の原爆はウラン235であった。
プルトニウム239は、核分裂しないウランに中性子を一つ食べさせる。
そうすれば、核分裂が起きる。
原子力に夢を託す人は、ウランの大部分を占めるウラン238をプルトニウムに変えて使用しようと考えている。
では、どのように行うのか。原子炉の中で、燃料として使用するのもプルトニウム239である。
核分裂という反応は、1つの中性子を食べることで、2つ3つと新しい中性子が出てくる。
その中でまた、1つだけをウラン235、プルトニウム239に食べさせ、また次のプルトニウムに食べさせると核分裂が起きる。
厳密に、1つだけをずっと食べさせ続けて連鎖反応を維持する仕組みである。
残りの中性子は、周りにずっとウラン238を置いておいて、そいつに食わせる。
そうすると、どんどんプルトニウム239が出来る。この仕組みを高速増殖炉という。
プルトニウム239を燃やしながら、もやした以上のプルトニウムが出てくる。
そうすると、燃料を燃やしながらも、どんどん新しい燃料が増えていく。
これを、我々は核燃料サイクルと呼び、核燃料サイクルの中心的技術が、高速増殖炉である。
これを完成できなければ、原子力はエネルギー源にはならない。
米国は、1940年代から高速増殖炉を作ろうと試みた。
今、使用している会議室の電力の一部は大飯原発から来ている。
日本には50基以上、原子力発電所がある。それらは、軽水炉と言われており、その中でも沸騰水型、加圧水型に分けられる。水で原子炉を冷やそうとする仕組みだ。
しかし、最初に電気を起こしたのは、高速増殖炉である。
軽水炉はウラン235しか使えないから、エネルギー源にはならない。
エネルギー源にしようと思うと、高速増殖炉が必要。
なんとかやろうとしたが、出来なかったのである。
米国は、10基作ったが次々と事故に遭い。英国も、ロシアもフランスも次々と事故に遭い失敗した。日本の、もんじゅなど結局出来なかった。
でも、日本はあきらめてはいない。
しかし、原子力の歴史を見れば高速増殖炉は出来ない。なので、原子力はエネルギー源にはならないと言える。
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質問:食の年齢制限に関して。
自分の身を自分で守るという意味でも、提示していただけることは助かる。
食の年齢制限に関しては、一対一の事柄だと考えている。
しかし、反原発という動きは、一対一ではない。
反原発対政府など、一対一の働きではなくなったとき、より効果的にアクションを起こすにはどうしたら良いか。アドバイスをください。
(関西学院大学 白石唯)
回答:もしも、私がそのアドバイスに答えられるようなら自分でやっている。
私は、一度は原子力に夢を持った。しかし、原子力はまったくエネルギー源にはならず、事故の際には大変な被害を起こす。
また、死の灰を必ず生み出すが、必ず消せない。
私たち世代が作ってきたものだが、私たちは消せない。
ここにいる皆さんが死んだって消えない。100万年後にまで残る毒物を作っている。
大学3回の時から、原子力反対に命をかけようと思った。
その当時、3基しか原子力発電所はなかった。
思いつくことはなんでもやった。教授を相手に喧嘩、立地を狙われたところにビラをまくなど。
しかし、圧倒的な巨大な力が向こう側にあった。
国家、電力会社、日立、三菱、東芝などの原子力産業。そこで働く労働者たちやマスコミも皆、原子力の旗を振っていた。何をやってもだめだった。
今でも思いつくことは何でもしている。
大飯原発に関して、ここまできてもまだ再稼働するなんてまったく理解できない。
しかし、政府は着実に手を打っている。
動かさないと停電する、と国民を脅す。一般の人は、停電が嫌だから原発はしょうがないと考えてしまうだろう。
しかし、停電しようがなんだろうが原子力だけはだめだ。
私の力では何もできなかった。これからもきっと何もできない。
私は、原子力の場にいるのでこの場で出来ることは何でもする。
皆さんも、自分のいる場所で何が出来るかを自分で考えてみてください。
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http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/614/京大原子炉実験所小出助教との会談(前編)
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