こども支援・SDGs・花園教会水族館のあるキリスト教会
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また福音どのように捉えているでしょうか。
そしてイエス・キリストの福音からでてくる宣教をどのように捉えているでしょうか。
また祈りをどのように捉えているでしょうか。
パウロはまず祈りにおいて感謝を捧げています。
それはフィリピの教会の人々が洗礼をうけて神を信じるようになってから今の今まで自分が信仰をもって福音に預かり、
福音に生かされ、福音にのっとって生きていることに感謝し喜んでいるのです。
私達もよく祈ることをします。
でも、私達はよく自分の祈りをする事が多いのではないでしょうか。
こうして欲しい。
これを叶えてくれ!
私は今までこうしてきたのだからこうしてもらわないと困りますなど。
私達はパウロのように自分の身近な人のために祈りそしてそのために喜び感謝して祈っているでしょうか?
それはもちろん
「わたしの友達をこうしてください!」
とか
「こうして変えて下さい」
という自分本位のお願いだけが祈りではありません。
パウロのように自分の身近な人がクリスチャンであるならば、その人が今までイエス・キリストの福音に接する事が出来ている事を感謝し、
もしまだイエス・キリストを知らないのであれば、その福音にふれて欲しいというキリストを中心としたキリスト本位の祈りをすることなんです。
そう、私のそして私の隣の人、身近な人の恵みとは自分の思いによって叶えられるものではなく、キリストにあって、キリストの福音にふれる事自体が恵みなのです。
これは宣教も同じです。
この人はクリスチャンじゃないからクリスチャンにさせないといけない、というときに間違った思いを私達は持ってしまいます。
クリスチャンにする行為自体はすべて神がなされることであって私達がするのではありません。
もしわたしたちがクリスチャンにしようと思い行為するのであればそれは他人を洗脳するか自分のコントロールの配下に置くに他なりません。
宣教とはそうではない。
宣教とはまず祈りをもってはじめ、その祈りはまず自分ではなく他者のために神に感謝し祈ることです。
パウロは6節でこう語っています。
「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」
と。
私達は神がすべて成し遂げられると確信するからこそ、他者のために祈ることができるのです。
そして7節ではこうも語っています。
「わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。」
そう、つまり宣教、福音とは自分だけに生かされるものではなく、
イエス・キリストを信じている人々との祈りとこのような交わりがあるからこそなされるものであるとパウロは考えているのです。
私達は時に、クリスチャンはこうではなくてはならない!
宣教はこうしなければならないと批判します。
その人が若く信仰的にまた宣教に熱心な人ならなお更です。
でもこんなとき気をつけなくてなりません。そういうときほど周りが見えないのです。
パウロは7節で恵みの共有。共に恵みにあずかる者と強調しています。
そう私達は、共に福音を共有し交わる事が一番大切なのです。
どうしても熱くなると自分本位に成りがち。
しかしそうではなく他人のために感謝して祈りそして、このように交わりと賛美をしていく事それで愛を知る事ができる。
そうキリストから生まれるアガペーの愛です。
そしてそこには一致がうまれます。
その一致の動力はなんでしょう。
それはイエス・キリストからでてくる愛、すなわち、私達がイエス・キリストが私達の救い主であるという信仰の告白です。
私達はこの一致の元に祈り、賛美し、宣教するのです。
私達はこの「イエス・キリストが私達の救い主である」と知るとき、自分のために身を捧げられた事をホントの意味で知り、
「自分はココにいていいんだ」
「自分はこの世に存在する価値の多いものだ」と自分の本当の価値・あなたがこの世界にあってダイヤやお金に勝る財産であると知る事ができます。
私達もその事を知り、この世界で今の今まで、聖書を読み、御言葉を聞き、福音を聴くクリスチャンとして生きていることを感謝する事ができていくならば
世における苦しみ悲しみもすべて、キリストの福音において益とされていくと私達はその時は分からなくてもいつか必ず気付く事ができるのです。
なぜならこのすべてのものの起源も完成も神ご自身によるものであるからです。
どうぞ私達もパウロに習い、祈りや賛美をキリストを中心としたキリスト本位の仕方で、まず隣の人、身近な他者、家族・友人の感謝のために始めていこうではありませんか。
お祈りします。
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