花園教会ではラブゴスの賛美の他に、青年会例会が月一度あります。
今回はプロテスタント教会が全然知らないのによく批判がちのカトリック教会について勉強しました。
発表者はカトリック神学をちゃんとカトリックの大学で4年間みっちり勉強した方です。
その内容をちょこっとだけ(一部カトリックの方々の意見をそのまま反映しています)
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プロテスタントがマリア崇拝しているという考え方は、誤解と言える。
まず、マリア崇敬は、あくまで崇敬であり、崇拝ではない。
歴史的・沿革的に、マリア崇敬は、神であられるイエスさまのお母様としての尊敬を元にしている。
でありますから、いくら尊敬され、崇敬されているにしても、神であられるイエス・キリストと、マリアでは全く一線を画されるものである。
尊敬の度合というか、質が違うといえる。そうですから、マリア「崇敬」という言葉はありますが、マリア「崇拝」という言葉はない。(第二バチカン公会議で完全明記)
カトリックを批判されるのは自由かと思いますが、せめて用語は正確に使っていただきたいと思いました。(カトリック側の意見)
プロテスタントの方は、聖書の文言をとても重視されると聞きますところ、イエスも、親を敬いなさいと、聖書で明確におっしゃっておられます。十戒の内容でもあります。
また、マリアさまが神とわたし達との仲介者、という考え方も不正確だと思いました。
なぜなら、確かにわたし達カトリック教徒は、マリアさまにとりつぎのお祈りをもしますが、直接神さまに対してお祈りすることの方が圧倒的に多いからです。
祈る時も、マリアさまに「対して」お祈りするのではなく、ふつうは、マリアさまに一緒に祈ってください、とお祈りするものです。
プロテスタントの中の人には、マリア崇敬は聖書に書いていないから間違いだという方もいます。
しかし、プロテスタント教義の中で、聖書に明確には書いていないことはたくさんあると思います。
お酒やタバコの禁止(これはプロテスタントの教義ではなく道徳的な側面が大きい。これはプロテスタントの本質ではない。悪しからず)や、
三位一体の教義や、キリスト教徒は何かの一応のメルクマールともなるニケア・コンスタンティノポリス信条、使徒信条ですら、イエスさまが活躍された時代のずっと後に決まったものです。
それどころか、聖書自体、5世紀までは今の形に決まっていません。
あくまで、今の東方正教会とカトリックが、原始キリスト教の時代から、長い時間をかけて聖書を編纂作成してきたのです。
もっとも、だからといって、聖書が重要なものでないというわけではありません。
わたし達カトリック信徒の信仰上も、もっとも大切なものの一つです。 PR
http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/4/カトリック教会の事全然知りませんでした。
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