先週は皆さんのお祈りにも助けられ、誰一人として体調を崩すことない50周年に相応しい大変素晴らしい研修旅行となりました。
また報告の際に、この研修旅行のディレクターとしてまた現地ではコーディネーター役として任をおって下さった寺脇兄からその報告があると思いますが、
本当に素晴らしい旅行となりました。
今回の尊いご奉仕に本当に感謝したいと思います。
またこの度の研修旅行は私にとっても目からウロコの旅行であり、キリシタンの歴史の一端を知るよい機会となりました。
私はカトリックとの関係も深いのですが、実はキリシタンについてはほとんど何も知りませんでした。
けれども今回、津和野のキリシタン殉教地である乙女峠を訪問し、そこで乙女峠に関する資料そして本と出会い、自分の思い描いていたキリシタン像と津和野でのキリシタンとは全く違っていた事を知りました。
私は、教職者としてまたカトリック教会と繋がりを持つ者としてこうして講壇を守らせていただいておりますが、そのような背景も持つ者であるのに、日本におけるキリスト者の事をこれまで全くといっていい程、知らなかったことにとても恥ずかしい気持ちとなりました。
「ああ、わたしは知っているようで実はなにも知らないものなんだ」と。
でも今回、ギリシャの哲学者:ソクラテスが「無知の知」つまり、無知であるという事を知っていれば、知っていると自負するよりも優れている、また成長するといったように、
今回乙女峠を訪れて、自分が無知である事を知った事をきっかけに、キリシタンについて多くを知る事ができた事は、本当に私にとって大変嬉しい事です。
まさに今回の旅はキリスト者の神への信頼のひとつの形を知る大変良き、そして神から恵みを与えられた旅となりました。
さて、今日の御言葉を司会者の方に読んでいただきましたが皆さん、どのように感じたでしょうか。
ローマ章の6章1節
「それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか」
私達はこれまで神の義とはなんであるのか、神の福音とはなんであるのかこのロマ書を通して学んできました。
パウロは言います。
神の義・そして神の福音とは、律法を守ったから得るのではなく、イエスキリストを信じる信仰によって義となり福音を知る・・・」と。
パウロはこうも述べていました。
罪ある私達を一方的に神の方から私達を救い出してくださっている。
だから私たちは苦難がこうようが患難がこようがキリストが共におられるのであるからそれに耐え、また戦い、勇気付けられそしていつしかそれは真の喜びを得る。と、
そう、これまでの御言葉は神からの一方的な恵み・そして十字架と復活において私たちは神によって一方的に正しいものとされ、そして罪赦された喜びを知るものとなるという事を知りました。
そして先週の御言葉の箇所である5章20節では
「律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」とありました。
実はここの訳はあまり原文から言えば正しくありません。
それは20節の違反と言う単語、これは原文では「ハマルティア」つまり、「罪」となっているのでここは「違反」ではなく罪と訳した方がいいでしょう。
ですので、この違反というところを罪という単語に置き換えてもう一度読んでみたいと思います。
「律法がはいって来たのは、罪が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」。
皆さんどうでしょうか。
「罪が増し加わるところには、恵みも満ち溢れる」
もしこの御言葉だけを読んだとしたならば、
こう解釈する人もでてくるのではないでしょうか。
それは、
「罪が増し加わるところに、恵みが満ち溢れるんだから、自分のしたいと思っていること、罪と思われる事でも自分のしたいことであれば手当たり次第にやっていれば恵みも増えるし、
神がキリストを通して一方的に救ってくれるんだからやりたい事をやってから、自分のしたい事をやってから神を信じよう。
神様だって私を愛してるんだからこれくらい赦してくれるよ」と。
これはいつの時代でもそう思う人はいると思います。
私だって、この御言葉だけに接していればそう勝手な解釈をしてしまうでしょう。
実際に歴史上の人物でもそう言う人はいました。
それは水曜日の聖書の学び会でも紹介した人物ですが、古代ローマ帝国のコンスタンティヌス1世がその人です。
彼がローマ帝国皇帝になり、キリスト教や諸宗教を含めて公認したことによって、それまでキリスト教はマイノリティー少数派の宗教でしたが、これをきっかけにマジョリティー、権威のある宗教へと変わり、世界各地へと莫大にキリスト教が広がりました。
またキリスト教の歴史で最初の全教会規模の会議である第一ニカイヤ公会議を開いた自分でもあり、その会議で三位一体論が正統として再確認されたとても重要な会議だったのですが、
それほどにこのコンスタンティヌスは、のちのキリスト教に多大なる影響を与えた人物であるにも拘らず、彼が洗礼を受けたのは死ぬ直前でした。
まさに「自分のしたいと思っていること、罪と思われる事でも自分のしたいことであれば手当たり次第にした後で、洗礼を受ければいい」
と彼は考えていたのです。
さて、皆さんはどう思われるでしょうか?
パウロはその答えを今日の御言葉において6章1節~2節でこう語っています。
「それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私達は罪の中にとどまるべきでしょうか」
「絶対にそんなことはありません。 罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。」
つまり言い換えれば、私たちが罪を正当化しようとする考え方自体が、実はまだ自分が罪の中にいて真の自由や解放をしらないんだ!という事を人に暴露していることになるのです。
また洗礼を受けたものであっても罪のあとに、恵みが与えられるという考えを持ち、罪を正当化するのであれば、その人は罪に留まるというサタンと呼ばれる悪魔から誘惑を受けているのです。
私たちキリスト者にとってパウロがいうようにイエス・キリストに結ばれる洗礼をうけたのであれば、私たちはもう罪に対して死んでいて、そして神の恵みの中にあるのです。
私たちはなにか勘違いしますが、洗礼自体は勿論、神の恵み・導きによるものですが、洗礼を受ける行為が最大の神の恵みでもなければ完結なのではありません。
ドイツ神学者カールバルトは「洗礼とはめぐみの媒介である」と語っています。
そう、神の恵みをこれからどんどんうけるための仲立ち・仲介をなすもの。
そう、つまり洗礼とは神の恵みを知るきっかけなのです。
そして宗教改革者ルターはこの神の恵みについてこう語っています。
「恵みは罪にさからい、それを食い尽くす」と。
そう、罪がきてその後に恵みが来るのではなく、
「恵みは罪を食い尽くす。」んです。
洗礼を受けた事によって神の恵みに気づき、その恵みがあなたの罪を食らいつくすのです。
なんとこれは私たちに勇気を与える言葉でしょうか。
是非とも、あなたが洗礼を受けているのであれば、あなたはその神の恵みに気づき、そして恵みの中に引き込まれ、
洗礼によってこれまでの罪の世界から死に、神の要求にのみ込まれ、覆われてしまっている事実を知ってほしい。
またまだ洗礼を受けていない人はできるだけ早く、その神の恵みに気づくことができるよう祈っていきたいと思います。
さて、洗礼を受けるということは、
「罪に死にそして神によって生きる」ということなのですが、これは私たちにどんな意味をあたえているのでしょう。
先週私はメッセージの中で、私たちの根底には「死にたくない」という思いがあると語りました。
人間は様々な状況で「死にたくない」と思うことでしょう。
クリスチャンだって、勿論「死」は怖くないと思っていてもいざ、そのようなときに出会えば、「死にたくない」という思いはでると思います。
けれども、私たちは洗礼を受けキリスト者となった事によって、ルターが「恵みは罪にさからい、それを食い尽くす」と語っているように私たちにこの世界にはない大きな強みを神は私たちに与えてくださっている。
そう、それは6章9節
「キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを私たちはしっています」
そう、私たちの内にはキリストが生きておられる。
この事を知り、キリストに信頼を置くとき、私たちのどんな恐れにも勇気が与えられ、強められるのです。
これこそ恵みが罪を食いつくしているとき。
わたしは今回、研修旅行を通してキリシタンの信仰を垣間見ることができました。
私たちは通常「隠れキリシタン」という呼び名と迫害を恐れて仏像の後ろに十字架をあしらって隠れて信仰を守っていたという程度しか知りません。
けれども実は、このキリシタン達が声をあげなかったら今の明治時代からのキリスト教の信仰継承はあり得なかったでしょう。
私は今「キリシタン達が声をあげなかったら?」と言いました。
私はこの研修旅行で乙女峠を訪れまでずっと実は、明治時代、キリスト教が布教できるようになったのは、それまで鎖国を続けてきた江戸時代から明治に代わ り、諸外国との貿易&条約を結ぶにあたってキリスト教を禁教していては条約や貿易に不利になるから、禁止を解いたとばかり思っていました。
なぜなら私が学校の日本史でそう教えられてきたからです。
私は学校の教科書において、「明治時代にキリスト教が布教できるようになった」という一文しか見たことがありませんでした。
けれども、真実というのは実はそんな単純なものではありませんでした。
ときは江戸時代から文明開化と呼ばれる明治時代に入ったとき、多くの外国人もこの日本に来るようになりました。
長崎はとくに江戸時代よりももっと多く外国人が来るようになったのです。
外国人が増えるという事は、キリスト教を信じている外国人も当たり前ですが、来日するわけです。
そうなると、キリスト教を信じている外国人にとっては教会がほしくなります。
ということで、外国人専用の教会が長崎にできました。
それが皆さんよく知っている大浦天主堂です。
この教会の姿を見たキリシタン達は250年以上、自分の信仰を公にしたら死罪になる恐れの中にいましたが、
この教会を訪問し、同じ信仰を持った外国人・そして教会を見て、これまでのように隠れる事をやめて、
キリシタンの女性が亡くなったことを機に、仏教で葬儀をする事を拒否し、自分がキリシタンである事を公にしたのでした。
しかし、明治であってもキリスト教禁教令は続いていました。
当初明治政府は、身分を公にしたキリシタンを何人か見せしめに処刑し、さらしものにすれば改宗するだろうと迫害計画を立てます。
その計画を指示したのが維新の三傑(さんけつ)である桂小五郎と言われていた木戸孝允でした。
けれども長崎を訪れた際、外国人たちの批判を恐れて当初の計画を断念。
それではと、キリシタンを分散して他の地に改宗のために散らしたのでした。
その一つが今回私たちが訪れた津和野というわけです。
そして153人のキリシタンが津和野に送られ36人がそこで殉教しました。
殉教者には2歳・3歳・5歳の女の子も含まれており、
この子どもたちは餓死させられ
若い27歳の男性は極寒の津和野の真冬の中、裸で縦横1メートルしかない牢に20日間入れられ衰弱死。
また頑として改宗しない人がいれば、その家族である14歳の少年を狙って悲鳴をださせるために鞭をこれでもかこれでもかと打った・・・そしてその少年はその傷によって死んでいった・殺されたなど・・・今では考えられない拷問がありました。
この拷問に耐えた甚三郎(じんざぶろう)という男性は
最初、どんな拷問にも耐えて見せると豪語したのですが、拷問や改宗への誘惑を受けた際、耐え切れなくなり、主の祈りを唱えたそうです。
そして特に、「我らを試みにあわせずあくより救いたまえ」と祈ったといいます。
するとそれまで自分ひとりでその拷問・そして誘惑をうけ、これについて責めていたけれども、主に自分の弱さを認め、主に・神に助けを願った。
そうするとその自分への責めがおのずからなくなり恵みが与えられたとこの甚三郎は語っています。
まさに彼は自分の力ではない・真の力を得たのでした。
さて、その拷問の時期を同じくして、岩倉具視・伊藤博文などの草々たる明治維新の立役者が外国に派遣されていったのですが、
そのとき長崎の外国人記者が自分達と同じ信仰を持ったキリスト者が各地で迫害している事を記事をそれがヨーロッパ中に知れ渡ることとなり、
イギリス政府やヨーロッパ各地の国々が岩倉具視や伊藤博文などをキリシタンの迫害をやめるよう圧力をかけたのです。
岩倉具視や伊藤博文などはそんなキリシタンの迫害という小さな出来事が外交問題になるとは驚いたといいます。
しかし、これをきっかけとしてキリスト教の禁教令はとけたのでした。
つまり、禁教令が解けたのはこのキリシタンの迫害・殉教者たちがいたからなのです。
私は、この真実を知った時に私たちがこうして安心して礼拝できているところには主に信頼をおいた私と同じ日本人の信仰者の上に成り立っている事を初めて実感しました。
まさにこのキリシタンの方々の信仰の中心にキリストが生きておられたのです。
また私が本当にすごいと思ったのは、この拷問によって、表向きには改宗した人も大勢いたんですが、
けれども、拷問に耐えた人たちはこぞって、この改宗してしまった人が長崎に帰っても、その人たちを責めないでほしいと嘆願書を書いて擁護したことです。
そして、また拷問に耐えた人たちは、長崎に帰ったあと、長崎周辺で天然痘・昔で言えば不治の病・悪魔の病気として恐れられた感染症が蔓延したときに、
彼ら はそこに赴き・誰も看病しない、また子どもをおいて逃げ出した親も続出したのですが、その天然痘が蔓延した地に残された所謂、孤児を引き取るという活動を 始めた。
なんともすごい信仰だと私は思いました。
現在その活動が、修道院としていきています。
皆さん、どうでしょうか。
ある一方では明治維新を起した人たちが英雄として伝わる一方で、実はもうひとつの真実がある。
私は、今回の旅行を通して、真実を知ることの重要性を知りました。
またこの真実こそが信仰継承と繋がっていくんだなあと私は感じました。
私たちキリスト者は、聖書の御言葉を知り、そしてその御言葉を生きる糧とすることができます。
また私たちは私たちの信仰の中にイエス・キリストが生きておられる事を知りました。
そして私たちには祈りが与えられている。
私は最近、思うのですが、私たちはキリスト者に祈りが与えられているのですが
私たちが行なうこの祈りというのは、私たちのうちに生きておられると思うことができるからこそ、祈れるんじゃないでしょうか。
そしてだからこそ、その祈りが真実となり、私たちにとっての、そしてあなたにとってのこの世界にはない最上の恵みとして与えられるのではないでしょうか。
もし、私たちの祈りが、キリストが私のうちに生きているという事を信じられない中での祈るのであれば、そのときほどその祈りに空虚差漂う。また空しいものはありません。
またそのような祈りは返って、自分の願いが叶えられなかったと思うときには、神への憎しみが生まれ、そしてあなたは自分から罪の中へと足を運んでしまうことでしょう。
だからこそ、キリストがわたしのうちに生きておられると思った時に、
「私を試みに・誘惑にあわせないでください」という祈りほど、私たちを強く・そして私たちに勇気を与える祈りはありません。
神に信頼を置くとき、ルターが言うように「恵みは罪をくらい尽くす」んです。
私たちはキリストの死によって罪から支配された肉体は滅ぼされ、キリストと共に生きるものとなりました。
あなたはその事を信じますか?
6章8節でパウロは「信じます」と語っています。
だから私もその信仰に習いたいと思う。
パウロもそして先ほどの紹介したキリシタンの方々の信仰も過去を見るのではなく常にキリストと共に生きている事を信じ、明日に希望をおいていました。
この日本においては引きこもりが70万人、その予備軍は155万人にいると昨日内閣府が発表しました。
私も引きこもっていた時期があるのでよくわかるのですが、引きこもる人は必ず過去を見ます。
そして過去から明日の自分に起こるであろう現実をみようとする。
けれども、過去に自分が傷つけられた事・嫌な事がいっぱいある。
ですから明日も嫌なこと・自分を傷つけることが絶対に起こると思う・感じる事はごく自然なのです。
そうだからこそ、彼らは外に出ることができないし、そしていつしか外に出る事をあきらめてしまう。
でもあなたには復活の力によってキリストがあなたのうちに生きておられます。
そう、あなたの信仰・ここにはキリストが生きているんです。
だからこそわたしはそしてあなたは希望が見出せるんです。
なぜそんな事が言えるのでしょうか?
それは今日の御言葉を語ったパウロも、そして迫害されたキリシタンもそうだったから。
私たちは神の恵みの一端を信仰者を通して見ることができます。
だから、あきらめないでほしいのです。
そしてキリストがあなたのうちに生きておられる事を信じ歩んでほしい。
そしてくじけそうになったらどうぞ主の祈りを祈ってみてください。
そしてそのような方をあなたが知っているのであれば、その方のために祈ってあげて下さい。
今日紹介した甚三郎(じんざぶろう)たちはこう語っています。
「人間ひとりの意志の強さだけでは信仰を守る事は難しく、みんなの祈りによって天から聖霊、すなわち神の御力を恵まれて初めてできる」と。
必ずあなたに自分の希望ではない・主における真実の希望が与えられるはずです。
あなたは洗礼において罪に死に、神の中に生きるものとなりました!!
行きなさい!そして希望をもちなさい。
主があなたと共におられるのですから。
主の祝福が大いにありますように。
祈ります。
PR
COMMENT