皆さんこんにちは。
そして始めましてという子達もいると思います。
ので、ちょっと私の自己紹介から、私は篠澤俊一郎言いまして、この花園教会の主任牧師をしています。
私の生まれは長崎県です。ですがすぐに島根の諫早というところにいき、そして小学校4年生のときに鹿児島へとうつりました。
そして上智大学の神学部に合格し、カトリック教会の勉強をしに東京へとでました。
私は東京には7年ほど住んでいました。
そしてその間に、ナザレン教団の神学校にはいり、結婚して、その後花園教会へときたというわけです。
先生はこの三月まで働いていました。ゲーム会社の任天堂でWiiの開発をしてました。
なので私は牧師ですがゲーマーでもあります。
今度、ゼノブレイドというゲームがでますが、そのゲームにも携わっていました。
詳しいでしょ??
まあともあれ、今日は皆さんよくこの讃美集会に来て下さいました。
この花園教会の牧師として大歓迎します。
どうぞ、このときを楽しいときとしてくださいね。
今日は、堅苦しいメッセージはなしにするつもりなんですが、先生は今年の三月にフィリピンというところにいってきました。
そこに観光しにいったわけではなくて、内戦が続いているミンダナオ島というところの貧困の実態と紛争の実態を調査しにいってきたんです。
先生はミンダナオ島にいって一年前に戦場となった場所にもいったり、ゲリラの勢力下にある村にいったりしました。
普通はいけないところなんですけどね。
その詳しい話は今度の5月30日の日曜日にこの教会で報告会をするつもりなんですが、
まあ今日はその話をするためにここにいるわけではなく、私は貧困、明日の食べ物のままならない中で暮らしたり、両親が殺されたり、離婚したり、両親から捨てられたりした子が集まる施設に泊まったんですが、私はそこでひとつ質問したんです。
それは「あなたの夢はなんですか?」って。
じつはこの質問すごく先生勇気が要りました。だってそんな貧困、明日の食べ物のままならない中で暮らしたり、両親が殺されたり、離婚したり、両親から捨てられたりした子に「夢は何か?」って聞くとなんてKYな質問でしょ?
でもあえて私はしていました。
それでは皆さんにも質問です。「あなたの夢はなんですか?」
何人かに当てる?
最近の10代の子たちの世代をなんていうか皆さん知ってる?
悟り世代というらしい。なんで悟っているのか。
それは今の10代の子達は不況のなかで生まれたから、何をやってもうまくいかないと悟っていることからそう呼ぶらしい。
わたしもある高校生に聞いてみました。何か夢がある?
そしたら「ない」と答えた。
そしてじゃあ何がほしいの?
「お金。
お金がすべてだから。」
まあ当たり前と言えば当たり前かな?
さて、さっきの話に戻るけど、ミンダナオの子ども達に「ゆめはあるかきいてみた」
すると、真剣なまなざしでみんな答えてました。
「夢はあるって」 ある子は大学にいきたい。
ある子は医者になりたい。ある子は看護師になりたい。ある子は家族を助けたい
彼らの目はとても真剣でした。
私は先ほど日本の今の10代の世代を悟り世代といいました。
10代の子達は不況のなかで生まれたから、何をやってもうまくいかないと悟っていると。
でも本当にそうだろうか。
ミンダナオの同じような子、いやそれよりももうちょっと上の歳であっても夢がある。
日本の悟り世代より彼らこそ現実には難しい夢を彼らは語っていました。
彼らは現実に自分の夢が難しいという事はわかっている。だけどあえてそれでも挑戦している。
わたしはこの姿を目の当たりにしたときに、悟り世代という呼び名は嘘だと思いました。
悟り世代ではなく、食わず嫌いの世代だろうって。
不況だから、なにやってもうまくいかない?バカいうんじゃねーよ。
と私はいいたい。
何もやりもしないで判ったようにいう奴はただの食わず嫌いでしかない。
しかも10代の子達は大人が嫌いとよく言っているよね。
でも、その割りにその嫌いな大人を見て何をやってもうまくいかないと考えることってすごく矛盾しているんじゃないだろうか。
実際は嫌いといいつつも結局は自分達もその嫌いな大人の真似を、同じレールを歩もうとしているんじゃないかと私は思う。
聖書にこうあります。
ヨエル書3章1節「老人は夢を見、若者は幻を見る。」
夢を持つということに年齢なんて関係ないんですよ。
そして状況だって関係ない。
どれだけ自分にその燃える力があるかなんです。
君達に夢を持つ力があればその夢がかなわなくてもその力さえあれば新たな夢が与えられるんです。そして回りも君の夢によって勇気付けられるんですよ。
まさに讃美集会だってそうです。
今の教会の青年たちは少ないよね。じゃあ少ないままでいいんだろうか?
それじゃあなにも始まらない。というより何も始まらない前にすべて終わってしまっている。
けれどもそうじゃない!という思いをもって今日からこの讃美集会ははじまった。
宗教改革者ルターはこういいました。
明日終末がこようが今日りんごの木を植える。
明日世界が滅びるとわかっていても自分は自分のすべき働きを行うということ。
みんなはどうですか?
する前にあきらめていませんか?
する前にあきらめる理由を考えていませんか?
そんなあきらめる理由を考えるくらいならやってみればいいんです。
やることに意味がある。
失敗してもいいじゃない。失敗したらそれが次のステップになっていくって。
皆さんに夢の力が増す方法を教えてあげましょう。
それは、
その夢が自分中心の夢ではなく、他者・つまり家族・友人・そして両親・兄妹・困っている人・苦しみのある人のための夢を持つこと
そしてそれが神のために行うなら、なおそれが増します。
だって私たち教会に繋がるクリスチャンはそれがこの聖書の御言葉によって、示されているから。
つまり、私たちの信じるイエス・キリストがそんな方だったからです。
自分中心の夢ならば挫折したときに絶望してしまう。
けれどもそれが神さまのためであり、それを通した他者のためならそれは一度挫折しても必ず私たちは立ち上がれるんです。
なぜなら、聖書の中に、私はいつもあなたと共にいると聖書に書いてあるから。
私たちクリスチャンは苦しいとき、悲しいとき、喜びのとき、いつでもどんなときでも、この聖書に帰ってこれる。そして神様に祈ることでき、勇気が与えられるんです。
クリスチャンは祈ることができる、そしてその祈る姿は弱いように見えて実は一番強い。
ですから皆さん、夢を持ってほしい。それも自分中心の夢ではなく、神のためそして他者のための。
この讃美集会は、近畿地区NYIの夢への実現の一歩だと思います。
近畿地区NYIに理念があります。それは近畿にもっと笑いを。共感。みんなの家。
これは私たち青年会にとっての夢です。
もっと一緒に笑える仲間がほしい。もっと共感しあえる仲間に合いたい。みんなの家のようなそんな空間を作りたい。
まさに神を中心にした自己中心的な夢ではなく他者のための夢ですよね。
これからこの近畿地区NYIが夢を1人1人が共有していければ必ずその輪は広がっていくでしょう。
だからそれを信じてまたこの会に集ってほしいと思います。そして君自身も夢を持つ事によってもっと力のみなぎった会になっていくと思うんです。
是非、夢を持ってほしいそう思います。
皆さんに主の祝福が大いにありますように
いのります。
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http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/246/若者よ、夢と祈りをもて!(青年の讃美集会にて)
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