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京都・花園キリスト教会

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受難週メッセージ

人間それぞれには一人一人、才能や特技、好きな事があります。

それは、一人ひとり違う。

小学生や、中学生や高校生のときは、才能や特技を特定する事は難しいかもしれないが、生きていく中で自分の好きな事という事は必ず人間にはでてくるはず。

そうわたしにも特技、好きな事がありました。

それはサッカーでした。

現在のこの体じゃ説得力はないかもしれませんが、私はサッカーが大好きで三食のごはんより大好きで、部活では時間を忘れるくらいでした。

しかし、あるときそんな好きで好きでたまらなかったサッカーがとてもキライもう嫌だと思ってしまいました。

皆さんにもそんな経験はないでしょうか。

今の今まで好きであったものが次の瞬間、キライで嫌になり、見るのも嫌になってしまう経験が。。

わたしもそのような経験をしたのです。

それはどうしてでしょう?

それは高校のときでした。

私は自転車事故をしてしまい、右ひざを5針から6針縫う事故をおこしてしまったのです。

治療には三ヶ月近くかかり、やっとの事でサッカー部に戻りました。

しかし、そこには私の居場所はありませんでした。

私のポジションはなくなり、3ヶ月経つと友達とのコミュニケーションすら難しくなりました。

そして極めつけには怪我以来、私はひざに力が入らなくなり、サッカーに必要なキック力、足の力がなくなってしまったのです。

とてもショックでした。

それまで好きで好きでたまらなかったもの、時間がたつのも忘れてやっていたものが、事故と言う一瞬の出来事で、奪われてしまったのです。


人間にとって予期しない出来事によって、ショックを受けた後の反動はとても大きいものです。

好きで好きでたまらなくなったものが次の瞬間、それが嫌になり最終的には憎しみに変わっていきます。

あれだけ、心豊かであったはず事が、またずっと楽しくいられると思っていたのに、たったひとつの出来事によって、苦しみ・悲しみへと変わっていく。

皆さんもそんな経験はないでしょうか。

今なくても必ずそのようなときがきます。

この苦しみ・悲しみというのはこの世で生きている限り誰にでもあるし、誰にでも起りうるのです。

悲しみや苦しみは向こうから一方的に私達のところにやってくるのです。

拒否する事はできません。

そう、それまで楽しかったあの日々をあの一瞬の出来事が私達を悲しみへおとしいれるように。

そんな時、私達はどうすればいいのでしょうか?
私達はそんなとき、この苦しみをどっかに消しさって、悲しみをとってと神様に願います。

でも神様は、その悲しみ・苦しみを取り去られません。

むしろその悲しみと苦しみで悩ませ続けるままにされます。

それはなぜか、イエス・キリストは聖書の中でこう語っておられます。

「人は新たに生まれなければ、神の国を見る事はできない」

そう、あなた自身が変わらなければならないのです。

それはつまり、

悲しみや悲しみの中であっても自分を支えてくれる神の存在があることをあなたは心から信じているのか!

そして、人生の希望と成る聖書の御言葉をあなたはもっているか!という事なのです。

悲しみの状況を変えるのではなくあなた自身が変わらなかったら何の意味もない。

なぜなら、また違った苦しみ・悲しみが自分に来たとするならば、また同じように苦しみ・悲しみ・そして最後には絶望してしまうから。

あなたが変わらなければ、苦しみ・悲しみに打ち勝つ事はできません。

私達は、苦しみ・悲しみを忘れる事はできません。また消す事もできません。

けれどもその苦しみ・悲しみをこれからの人生の大きな希望への一歩とする事ができます。

私は、高校のときのこの一瞬の出来事によって絶望したときもありました。

しかし、聖書の御言葉によって希望を与えられました。

わたしの場合、ロマ12:11~12です。

ですから今はその時の絶望を、苦しみ・悲しみを、こうして証しとして皆さんに語ることが許されています。


苦しみ・悲しみを自分自身で解決しようとするのであればその悲しみはずっと自分にとってトラウマになり、傷となる事でしょう。

私達は苦しみ・悲しみをいつまでも痛々しい傷として残すのか、それとも証しや、これからの人生の大きな希望への一歩としていくのかが、今私達に求められているのです。

パウロは、こう語っています。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」

と。


今日はイエス・キリストが十字架につけられ、殺されるという受難の週の初めです。

パウロが語っているように、私達の苦しみ・悲しみという思い煩いをイエス・キリストの十字架に突き刺し、その変わりにイエス・キリストからは底から流れる希望という血を来週の復活祭、イースターには聖餐という形でいただこうではありませんか!


ですので今日は、私達の思い煩いを神に打ち明けるべくこれから配る紙に書いて下さい。

そしてそれを書き終えたら、イエス・キリストの十字架に突き刺す思いでこの祭壇において下さい。
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