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あなたの心にメリークリスマス(クリスマスメッセージ)

メリークリスマス!

今宵は、イエス・キリストが誕生された聖なる夜です。

この1年に1度しか来ない聖なる夜を教会で過ごす事ができる事は本当に素晴らしい事だと思います。

この前、私はこの教会に来ている高校生からこういう質問を受けました。

「なぜ25日がクリスマスなのに24日にお祝いの礼拝をするの?」
と。

私は生まれたときからクリスチャンホームであるので全く疑問にも思った事はないのですが、キリスト教にあまり触れていない・知らない人たちにとってはごく普通の素朴な疑問なんだなあと私はそのとき思いました。

私たちが一般的に考えるのは今日の深夜の0時からクリスマスと考えると思うのですが、教会では今日の日没から明日25日の日没までがイエス・キリストがお生まれになった事を祝う降誕祭、つまりイエスの誕生をお祝いするときとなるのです。

ですから教会によっては夜半、早朝、25日の日中にクリスマスの礼拝を行うとこともあるのです。

クリスマスという日は私たちはよく知っているようでこうして見ると知らない事も多いようです。

しかしクリスマスというこの素晴らしい日は全世界の全ての人に開かれたものです。

ですから是非この素晴らしいクリスマスを1人でも多くの方々に知っていただきたい。

私はそう思います。

このクリスマスの働きをひと言でいうなれば神の愛の働きです。

そしてこの神の愛の働きが今も世界中に広がっています。

そしてその神の愛の働きを心から喜び、そして他の人たちに伝えていこうとしていった一人に皆さんもよく知っているサンタクロースがいます。

サンタクロースも神の愛の働きに触れ、そして救われ、心から喜びが湧きその神の愛を他の人に伝えていこうと信仰者でした。

サンタクロースの本当の名前はセント・ニクラウス、聖ニコラスと言います。

彼は今から1700年前、小アジア、今のトルコに生まれました。

ニコラスの両親は信仰深かったけれどもニコラスがまだ少年であったときになくなってしまい、彼自身孤児になりました。

彼はその後一生懸命祈り、聖書を学び、大司教になり彼は親譲りの財産を、惜しみなく使いいつもお金や食物を入れた大きな袋を用意して、貧しい人々や病人のためにささげ、また子どもたちには本やおもちゃを贈りました。

ニコラスのこの愛の働きにはこんな話があります。

ミラという町に3人の娘をもった貴族がいました。

けれども貴族とってすっかり落ちぶれ、貧しい中のどん底にありました。

特に長女が結婚の年頃になってもお嫁にいく費用もなく、父娘共々悲しんでいました。
その当時は支度金・持参金がなければお嫁にいけなかったのです。

そんなある晩、父親は長女のことを思って窓辺で一人で思い悩んでいました。

そのときドシン!と音がして、窓辺の目の前にたくさんのお金が入った袋が落ちてきたのです。

驚いた父親は外に飛び出してみたのですがそこには誰もいませんでした。

この父親は天の恵みと感謝して、そのお金をつかってめでたく長女をお嫁にやることができたのでした。

そして次女がお嫁にいくときとなったときもどこからともなくお金の入った袋が落ちてきたのです。

けれどもそのときも父親は外に飛び出すものの誰もいません。

そして三番目で末っ子の娘がお嫁にいく年頃となったときに、父親はもしまたお金の袋が落ちてきたら、是非贈り主にお礼が言いたいと決心したのでした。

そしてやはり突然、お金の袋がどさっと落ちてきたのです。

父親は素早く外に飛び出し、逃げていく人に追いついてみると、その人はニコラス司教だったというのです。

この神の愛にいき、貧しい人々に他者のために働いたセント・ニコラス、彼がサンタクロースの始まりとなるのでした。

クリスマスというのは生まれた日と勘違いする人もいますが、そうではなく、まさに神の愛を知り、その愛を自分だけではなく他者・家族・友人・知人に知らせようと、

愛の働きを実践したいと思わせる深い愛、

そしてこんな私でさえも愛され救われていると思えるような心に染み込んでくる愛、

そして救いをくださるイエス・キリストがお生まれになった日なのです。

そう、サンタクロースもイエス・キリストの愛に触れて愛の働きを実践した1人の信仰者だったのです。

そして神の愛に触れた人たちの愛の実践によって広まったサンタクロース。

今日の夜、子ども達の基にそんなサンタクロースが来ますように。


私はこのサンタクロースの物語を聞いたときに、この神の愛の姿であるイエス・キリストの存在の大きさをひしひしと感じるのです。

そして神の愛の広さ深さを私たちはこの物語から感じ取れるのではないでしょうか。

イエスという幼子が1人生まれたこと事によって、その愛が世界中に広まっている。

これはまさに奇跡。

そして私たちもそんな神の愛、イエスキリストの愛に今触れることができている。

これほど素晴らしい日はないと私は思います。

私は先日、カトリック教会のある司教の方と交わる機会がありました。

そこで私はある驚きを知らされました。

それはあるキリスト教系児童擁護施設でのお話です。

その施設には、親の事情によって捨てられてしまった子ども、親の虐待によって傷ついた子ども、親が離婚して経済的に苦しい子ども様々な子ども達が集っているということでした。


そしてそこの子ども達は毎年この寒い冬になると、四方800メートルくらいの広さしかないところに日雇い労働者やホームレスが5万人いると言われる大阪・釜が崎に夜、その施設の子ども達が【子ども夜回り】としてパトロールにでかけるという事でした。

私も大学時代、ホームレスの支援活動、冬の寒さでホームレスが凍死しないか、ちゃんと生きているかと毎週夜回りにでかけていたので、その夜回りの事もよくわかるのですが、

寒い冬に夜パトロールする事は子どもにとって結構大変なことです。


私は子どもが夜回り・パトロールしている事に驚かされるのに、

なんとその夜回りをしている子どもたちが自分自身も深い傷を負っているはずの子ども達であるという事でさらに驚かされました。

普通、私たち大人だって心に深い傷を受けたとしたら自分の事で精一杯、そして挫折し、失望するのに、ましてや子どもならもっともっと大きいはずです。

でも、そんな子ども達が他者の事を思い、考え、行動している。

私はとても衝撃を受けました。

私たち人間は、挫折や苦しみ・悲しみを受けたとき、そこから解放されたいと願います。

これは当たり前の事ですが、けれども多くの人々のその後はというと、

多くの人々は、自分からこみ上げてきた様々な誘惑によって、その挫折や苦しみ・悲しみから逃げたいという思いを、自分からこみ上げてきた欲望によって満たそうとするのです。

しかし、その自分からこみ上げてきた欲望によって満たそうというところのいきつく先は、ある人にとっては、すべてに絶望し命を投げ出すことであり、あるいは、憎しみであり人を傷つけたりする事であるのです。

最近の事件の背景もそうです。

「今のうっぷんを晴らしたかった」・「悩んでいた」・「不安でたまらなかったから」という事件の加害者の供述を耳にします。

私たちは誘惑に陥って逃げたいと欲望を満たそうとするとき、いつもここには
「しょうがないんだ。」

「しかたがないじゃないか?」

「どうしようもないんだよ。このわたしには」

と言い訳をします。

けれども、そこにいる子ども達を見て下さい。

彼らは自分の欲望によって自分の傷を解決しようとしたのではなく、神の愛に触れて、そして人を傷つかせることではなく、人を助ける事を行っている。

まさにこれは最初にセント・ニクラウス、彼自身孤児であったけれども、神の愛に触れ、サンタクロースとなっていく、この事に通じるものがあるように思うのです。

勿論、この子ども達をこのような方向に導いたスタッフ、責任者の方々のキリスト者としての信仰がそこにはあります。

そしてその信仰の原点が、

そう今日のクリスマス。イエス・キリストの誕生なのです。

なぜイエス・キリストがこの世界にお生まれになったのか。

それは、聖書のヨハネ3章16節~17節にはこうあります。

神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

神が御子を世に遣わさせたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

そうそれはあなたのためなのです。

あなたを愛するが故に神はイエス・キリストをこの世界にお送りなられたのです。

あなたが生きる勇気を持つように、希望を持つように、

そして最後の敵となる死に対しても立ちむかうために

そして永遠の命へと続く道へと歩くようにイエス・キリストはあなたのために来られたのです。

あなたのために神がイエス・キリストを与えてくださった。

これほどに素晴らしいことがほかにあるでしょうか。

大阪のその施設の子ども達も信仰者たちから神の愛を知ったからこそ、

他者の事を気遣い、そして弱い立場の方々に視線を向けられているのだと思います。

皆さんも、そしてあなたも今日、神様の深い愛に触れてほしい。

今日、もしあなたの心が温かくなったとしたらば、その温かくなった心をどうぞそっと暖めてほしいと思います。

そして、こうお祈りして下さい。

「どうぞ、主よ、この私を祝福してください。」

必ず神はあなたに希望を光を与えて下さいます。

主の祝福が大いにありますように。
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