今日は今年初めての京都大学YMCA地塩寮の聖書研究会でした。
みんな試験期間中にも拘わらず多くの青年が参加してくれました!
感謝な事です。
まずはアイスブレイクからという事で、今回のお題はこの1年間を振り返ってそしてこの一年やりたいことをひとりひとり語ってくれました!
Aさん:寮や部活・勉強に忙しかった。もっとゆったりとしたい。
Bさん:寮に入った事。色々と考え方が変わった。自分の浅はかさをおもいしった。
Cさん:後期くらいから頭を使って生きてきる:勉強も頑張っているがちょっとパンクしそう。
Dさん:生まれて初めてこんなに一番何もしていないと思う。しかし今年は動かしていきたい
Eさん:ダイエットしなかったのでちゃんとやろう!
などなど。
学生時代はいろんな事を考える大切なとき。過ごし方はにもいろいろあるので是非ともいろんな出会いが与えられますように!
聖書個所:ヘブライ2章5節から18節
<リーダーとはどういうイメージか?>
・正義感に溢れる事
・能力があるからといってできる事はないと思う。
。能力を前面に出すこともいいけど、結局はそこについていく人の選択によるのではないか
・肩書だけでみるのも違うのではないか。
などなど。
またリーダーになる環境についても考えないといけなんじゃないだろうか?という議論に発展し、
世の中には、
●利益集団と●共同体の2つがあって、それぞれのリーダー像は違うと思うなどの意見が飛び交いあいました。
またこのヘブライ書に出てくるイエス像は
・イエスは中間管理職のリーダーのような存在に読み取れる。
・聖書はもともとイエスありきの話なので、リーダーとしたら人もついていきやすいのではないか。
などなどとても興味深い意見が出てきました。
そのような議論の中で
牧師の見解は、
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・生前のイエスを考えたら彼のリーダー論は、失敗だったと思う。
なぜなら、最初は200人以上弟子ができるがだんだんと減っていき、最後には12人しか残らない。
そしてその12人の中から裏切り者が生まれ、十字架にかかり、その十字架上でイエスが死んだ瞬間には弟子たちは立ち会うどころか、逃走してしまった。
これがリーダー失敗の理由です。
けれどもそんな弟子たちがなぜかイエスが復活するという出来事の後には180度・心境・行動力が変わる。
その中心にある復活とはなんだろうか?と考えていくと色々と見えてくるものもあるのだと思います。
特に「死」という人間誰しもいずれ経験する事柄がテーマだけにとても奥深い。
リーダーという側面からみたらイエスの生前の教えは、もし自分なら絶対ついていかないと思います。
例えば「敵を愛せよ!」なんてほんとに無理なわけです。
当時のユダヤ人の願いはローマからの独立だったわけですからそんな精神論的なものばかりといてクーデターとまではいかないけど政治的な発言もしないような人がリーダーといえるか?
といえば難しいところがあるわけです。
でもなぜか復活後はあれだけ絶望していた弟子たちは戻って来た。そこには必ず大きな意味があったはず。
これは探求していくととても深いし・面白い。
ここでひとつ言えるとするならば、大切なことは自分が何を基準、またどこに信頼・希望を感じているのかで変わってくるという事ではないでしょうか。
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こんかいの聖研もとても有意義な時間でした。
感謝して。
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http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/1525/第97回 京都大学YMCA地塩寮聖書研究会ーリーダーとは何か?
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