〇私は牧師で且つNPO法人代表理事で子ども会の代表を務めております篠澤俊一郎と申します。
今回、上記の記事を読ませていただきましたが、起こった事象に対しての見解・特に【モラルの低下】に帰結している事に大変危機感を覚え、
また問題の本質を捻じ曲げて世間に理解される可能性があり、これはこの問題をさらに複雑化、捻じ曲げてしまう恐れもあり意見させていただきます。
実際にはもっと子どもや子育て世代が置かれている実態はもっと深刻です。
今回の事例が京都です。私も京都に住んでおり活動しています。
さて京都は税収が観光であるため、観光地化が加速しています。
しかしその一方で、これまでお寺の境内で遊べた事ができなくなったりと元々、観光地化されていなかった場所で観光地化が進んでおり、遊ぶ場所が減っています。
元々京都は家と家との間隔がほとんどない他の地域からみても特異な建物が多いところからもわかるように遊ぶスペースが家の中にほとんどありません。
ですから昔から路地で遊ぶ事は当たり前でした。
しかし、高齢者社会になってきたこともあり、高齢者が外に出る頻度も昔に比べて比較にならないほど多くなりました。
そこでおきる問題は、高齢者との自転車接触事故です。
明らかに高齢者が自転車に乗る割合も昔に比べて増えました。
そうなると、これまで通り路地で子どもが遊んでいても、行動範囲の広がった高齢者との接触する確率も格段と増えるのです。
また公園で子どものボール遊ぶを禁止するところも増えてきました。
それは近隣へのボールが飛んでくることに対しての苦情もあると思いますがそれと同時に行き場所のない子どもそして乳児を抱えたママさんも増えたからです。
ボール遊びは乳児にとって脅威となります。
そこである場所ではボール遊びを禁止し、ある場所では公園は乳児にとって危険なので、自分の目の前の路地で乳児を遊ばせるケースも増えています。
しかし、そのような子どもの環境が激減している中で、公園の横に高齢者のゲートボールするスペースはあったりします。
また京都でも使用しなくなった小学校の校庭をゲートボールの場所として使用してることも多々あります。
私は子どもの置かれている環境が劣悪になる事を危惧してこのゲートボールのスペースを子ども達に貸してもらおうと行政に申請しました。
しかし、それに対する回答は「ここは高齢者のコミュニティ支援のために作った経緯がある」という事で、
公園の管理運営をしているのは自治会・つまり「目的が高齢者に」という事から難しいという事もありますが、
トップの振興団体の方は子どもが置かれている環境に共感してくださり、寄り添う姿勢を見せてくださいました。
しかし、結果的には断念する事となりました。
なぜそのようになったか。
一番の理由は、
高齢者にとっても「この場所は自分にとっての居場所である」という意識が強く、違う世代が入ってくることへの警戒感が予想以上に大きかったというのがその理由です。
ではどうして行政は高齢者支援に傾いているのか。
それは行政の窓口は平日のみというのも手伝っています。
高齢者は時間があるためよく相談に役所にいきます。
しかしその一方で働き世代は平日は勿論、陳情など行けません。
また自治会のメンバーも高齢者で構成されているために実質的に高齢者ケアの事案になり、自ずと行政も政策自体が高齢者関連となります。
行政もこどもの貧困問題に対応しよう現在動き出していますが、実際は実態把握が難しいと言われます。
その理由は以上の理由からです。
そして日本の家庭環境も核家族が増え、自ずと高齢者との関係も希薄になっています。
子育て世代から見るとこれらの政策・時間がすべて高齢者案件になると、
子育て世代から見れば、
【他者の意見を取り入れるという余地がない】と見えてしまい町内会の意味もなさず、脱退する事例が多いのです。
その意味でも地域によるコミュニティ支援は重要ですが、やり方がわからないのが実情ではないでしょうか。
その中で一方をモラル低下・道路族という言葉で片づけてしまう事は問題の本質を見誤り、より世代間に対立を生みます。
まさに【コミュニティ支援を!】というのは正論ですが、その正論をかざしたところで事の本質を知らなければそれはただの絵に描いた餅であり、何の解決にもならないと思います。
より深い、洞察をお願いしたいと思い、このような形で連絡いたしました。
最後まで読んでいただき感謝いたします。
日本ナザレン教団花園キリスト教会牧師 篠澤俊一郎
NPO法人NCMジャパン代表理事
花園ジョイフル子ども会代表
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