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第75回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -それぞれの宗教観-

聖書研究会については久しぶりの記事になります。

勿論、記事にしていなくても毎月行われています(笑

さて、今日は本年度最後の聖書研究会でした。

今回のアイスブレキングのお題は

「ギャップがあった事」でした。

・海外に行った学生たちの話を聞いたり、

・大学内での話やお弁当の話。

・ポケストップになっている場所が、キリシタンの処刑場になっていた場所もあったなど、


さてその後の聖書箇所は

【ヨハネによる福音書3章16節】

キリスト教会では有名な聖書の箇所。

そんなところから、それぞれの宗教観を聞く機会が与えられました。

ただ今回はプライベートな事でもあるので記事にはしませんが、

私(筆者)の宗教観をちょっとお話しします。

1993年にB'zが「愛のままにわがままに僕はきみだけを傷つけない」という曲が大ヒットしました。

私自身もこのCDを持っており大好きな曲ではあるものの、ある歌詞にいっつも引っかかっていました。

それは、

「信じる者しか救わない、せこい神様拝むよりは、、、」というくだり。

これは当時中学生だった私にとって、

「キリスト教の事をいっているのだろうか」と悩んだ思い出があります。

その2年後、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、

宗教=悪 というイメージが出来上がり、

私がキリスト教徒である事をひた隠しにしなくてはならないような世の中の風潮となっていきました。

親友と思っていた子に自分の事を打ち明けた時も

『宗教が存在するから戦争が起こるんだ!』

と一蹴され、より深く悩んだことを思い出します。

そんな中で今回の箇所を読むと、

確かに「信じる者が1人も滅びることなく」という部分があのB'zの歌詞を思い出させ、引っかかっていました。

しかし、その次の箇所を読むと、「・・・裁くためではなく、世が救われるために」という言葉をのちに発見します。

16節はあまりに有名なのでここばかり取り上げられる一方で17節はあまり目に留まっていませんでした。


どんなに聖書の言葉が真理であっても、読み手の環境や状況によっては、読み手は16節を「選民」と捉えてしまう恐れもあり、裁きのベクトルを他者に向けていく。

でもイエスの生き方は

まさにそんな『選民意識』をぶち壊すはずだったのであって17節の箇所も16節と同様に重要な箇所であると思うようになりました。


その意味で、救われるために来られたのだから、そのために

「じゃあ今の自分は何をすべきだろうか?」

と他者にではなく自分にベクトルを向けていく事で反省から新たな使命も与えられ、新たな一歩を踏み出していけている。

それが私の宗教観です。

そんな事を学生たちに紹介しつつ、

今日で、学生最後の聖書研究会になった子もおり、

『自分にとっても日頃、友達には聞けない質問もここでは寮生たちの意見がきけてありがたい場になっている。』


『ここのおかげで自分の広がりや気付きが与えられた』



と、感想をいただきました。

ホントに感謝な事です。牧師冥利につきますね。


社会へ羽ばたく学生に主の祝福が大いにありますように!



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