7月の後半という事で、テスト期間真っ只中でしたが、8人近くの学生が参加してくれました。
私も前日にアメリカから帰ってきたという事で、時差ボケが治らない中でしたがとてもよき時が与えられました。
今回のまず【アイスブレイキング】としてのお題は
【将来の夢】-うまくいった場合&うまくいかなかった場合
という事でしたが、さすがに大学生という事でいまある自分がどうなるかなんとなく見えてきて、あまりにも現実感がすごいのでちょっと変更しました。
そんな中で
A君-新聞記者、新聞記者になろうと思ったが中学生でそのフットワークについていけないと思ってあきらめた。
とりあえず80歳くらいで布団で最期を迎えたい。
B君-大学教授。正社員。うまくいかなかったらフリーターかも、、、仕事は根性論となってしまう風潮・環境についていけない。
C君-とにかく自分から死なない。何があってもどうにかなるだろう。生きる事をあきらめない。人のためになればいいな。なんとかできないかなと思っている。
D君ー日本を放浪したいな。100名山登りたい。
自分がやるべきことをやっていたら、求める企業があるんじゃないか。
Eさんー東日本大震災、小さかった。どんな仕事をしたらいいかなと本気で考えた。
身内に嫌悪感がある。幼少期の子どもはのちの人生に影響すると思う。
人を助けられる事をしたい。
それぞれ話しているうちに、自分の奥底にある想いを話してくれました。感謝!!
★聖書研究★
マタイによる福音書6章1−4節「施しをするときには」
<議題>偽善というのはどういうこと?
●偽善という言葉を使うこと自体がどうなのか?
善行はいいものなのだから、偽善という事は言えないのではないか。
●そこに悪意があるかが問題ではない。良いこととは、意識しないくらいの事柄ではないか。
●自分が偽善者だという言い方をするときには、反省が含まれているのではないか。
でもそれは自分を不安にさせる。
●24時間テレビがとても偽善に思えてしまう。
●ボランティアはどうか?
・やってあげる感が出てしまう。
・助けてあげるという感覚ではない。
・介護のボランティアをやっていたがやろうと思ってやったのではないので半年でやめてしまった。
<<まとめ>>
24時間テレビは確かに、障害者を頑張らせてお涙ちょうだい的なものがある。
ただ実態として、それに頼らざるを得ない日本のNGO・NPOがあるのも事実。
日本には寄付文化がアメリカなどのように低いため、成果をあげる方法が求められており、これが日本のシステムになってしまっている。
この現状は変えて行かなくてはならないと十数年やってきているがなかなか厳しいのも現実。
聖書・またイエスが語っている事の中で私たちが意味をとらえるとしたら、
反省は大事だが、そのあとどうするかの方がもっと大切という事。
そこには責任が与えられ信念を貫く事の勇気が与えられる。
信じていく事の重要性がここには記されている。
今回はボランティアの意味も含めて、また支援の問題・あり方などを議論できたと思います。
ちょうどアメリカの支援会議から帰ってきたのでその事も含めていい話し合いが持てました。
偽善かどうか、まずは自分でいろいろ体験・経験してみてから答えを出してほしいと私は思います。
実際の出来事は頭で考える事よりももっと、大変だけど・面白いんですから!
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http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/1189/第67回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -偽善とはなにか?
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