今日はイエス様がガリラヤ湖という湖に弟子たちとボートに乗り向こう岸に渡ろうとしたときの話です。
イエス様はお疲れになったのかボートですやすや寝ておられました。
そして弟子たちがボートを漕いでいると、突然ゴオオオオーっと嵐になってしまいました。
ボートは揺れて揺れて今にも沈みそうになってしまったのです。
弟子達は恐れて恐れてもうどうしようもできませんでした。
しかし、ふとイエス様を見て見ると、
なんと!!!・・・・みんなどうしたと思う?
なんと・・・すやすや寝ていたんです。
弟子達はそれを見てびっくり!!
弟子達はイエス様に
「イエス様起きて下さい!イエス様起きて下さい!舟が沈みそうです。
私達もしずんでしまうかもしれません」
と、イエス様を起こして訴えました。
イエス様は起きて舟の先端に立ち
「嵐よ静まれ!」
と嵐をおしかりになりました。
すると、それまでボートが沈みそうになるくらいの嵐がスウウーーっと収まったのです。
そしてイエス様は弟子たちに言われました
「どうしてそんなに慌てるんですか?私を信じないのか?」
と言われたのです。
教会ではよく信じるという言葉を使います。
この信じるという事は・・・・
この信じるとは一体どういう事だと思う??
じゃあひとつ実験をやってみましょう!
<ここで、目をつぶってもらい、歩いてもらう>
「どう?見えないってすごく不安になるでしょ?」
「でも、こうして私が、あなたの手をとってあげるとどう??
とても安心するでしょ!?」
そう信じるってそう言うこと!!
見えない中で不安な時に手をとってあげたら、
なにかホッと安心するように、
信じるとは、心がホッと安心するという事なんです。
私達は不安になるときがあります。
でもそんな時だからこそ信じて欲しい。
お祈りしてほしいんです。
先生も、高校のときちょっとやんちゃなときがあったんだけど、
僕のやんちゃの仲間がちょっと弱そうな子をいじめ始めた時、とても不安を覚えました。
中学や高校のときってそれが悪いことであっても周りに
「おまえかっこわるいな~」
「だっせー」、
「万引きもした事ねーの?」、
「お前、あいつをかばうわけ??」
と言われちゃうと、その言葉に負けて自分も悪いと分かっているのについついやっちゃうんです。
そして悪い事を自慢するようになっていく・・・・。
でも先生は声を大きくしていいたい。
それは違う!間違っている!と。
どんなに周りが「おまえかっこわるいな~」「だっせー」、「万引きもした事ねーの?」、「お前、あいつをかばうわけ??」と言ったとしても、
それは悪いこと、やってはいけない事なんです。
今日の聖書のお話の中にイエス様の弟子たちが嵐をみて不安になった場面がでてきます。
弟子たちもその嵐の事ばかりを考えてイエス様を全く見ていなかった。
イエス様がいるにも拘らず「先生、舟がしずんじゃうのに寝ていていいんですか!」
というくらいに不安にイエス様に言ったんデス。
私達も弟子たちと一緒。
「おまえかっこわるいな~」「だっせー」、「お前そんな事もした事ねーの?」、「お前、あいつをかばうわけ??」
と言われたとき、自分がやっていない事に不安覚えるわけ。
そしてその不安を取り除こうと周りがやっているから、自分も悪い事をやってしまう。
でもちょっと待って欲しい。
「おまえかっこわるいな~」「だっせー」、「お前そんな事もした事ねーの?」、「お前、あいつをかばうわけ??」
と言われたとき、不安に思ったとき、イエス様の事を思い出しているんですか?といいたい。
いいえ、是非、そんな不安になるときにこそ、
イエス様僕に私にそれを断る勇気を与えてください!
祈り、そして実行することなんです。
私達にとってかっこいい事は、万引きする事でも・人に迷惑をかけることでもいじめをする事でもありません。
私達クリスチャンにとってかっこいい事とは、神様・イエス様を信じてこれはだめなんだときっぱり断る・やめる勇気なんです。
それが真実のかっこいいこと。
先生もやんちゃ仲間がいじめをした時、とても不安に陥りました。
「お前もやれよ」と言われた。
先生、どうしようっと思った。
そんなとき先生は神様に祈りました。そして「きっぱり断る」をしたのです。
しかし、そのせいで先生は高校で逆にいじめに合いました。
でも今思うと、あのときの僕の決断「僕はいじめをしない!」という決断は間違ってはいなかったと自信を持っていえます。
そしてだからこそ悪い事は悪いことであると間違っていると今みんなに強く言えるんです。
でもこの決断ができたのはイエス様がそばで支えてくれている・
そして教会で悪い事は悪い!間違っている事は周りがどんなにださい!かっこわるい!と言っても間違っている!と教えてくれたから・・・・。
ですからみんなも周りに連れられて間違っている・悪い方向に引き寄せられるときが来ると思う。でもその時にこそ、今日の事を思い出して欲しい。
そしてどんなときにでもイエス様が支え・導いてくれてる事を信じて欲しいと思います。
そうすればさっき目を閉じて不安になったけど、
手をとられて安心したように断れる勇気が与えられ
そして心が安心できる平安できる心が与えられるのですから。
お祈りします。(2009/3/1 教会学校礼拝より)
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