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京都・花園キリスト教会

こども支援・SDGs・花園教会水族館のあるキリスト教会

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キャンプ報告

教会では10代の子ども達があつまるキャンプがあります。

花園教会からは今回、2人の中学生が参加しました。

とても弾けたキャンプだったそうですよ。


キャンプリーダーがゴスペルシンガーの福原兄だったのでたぶんライブみたいな感じだったんでしょうね。

子ども達の成長を様々な人と共に分かち合える事はとても嬉しい事です。

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子ども達に伝えたい

あなたは何を中心に置きますか? (創世記19章1~29節、詩編19篇10節)

 

今聖書箇所を読みました。

 

ここにでてくるソドムという町はどんな町だったんでしょうか?

 

ソドムの町は、自分と違う人。

 

例えばお客さんを招かない町だった。

 

自分とは違う人を嫌いそしていじめ、暴力をふるったんですね。

 

人はみんなそれぞれ違うはずなのに自分に合う人しか好きにならなかったんです。

 

このような行為をするソドムの町の人たちを見て神様は深く悲しまれました。

 

しかも、神様の言葉を信じる人が10人もいなかった。

 

そして、アブラハムの親戚のロトさんが

 

「ソドムの町がなくなっちゃんだよ、逃げてくれ!逃げたほうがいいよ」

 

と、自分の親戚に訴えても・・・・ロトさんの親戚からはこういう答えが返ってきます。

 

「ソドムの町が滅ぼされる?そんなことがあるわけないじゃないか?ばっかじゃないの?」

って。

 

そう誰もロトさんの事を信じてはくれなかったんです。

 

誰にも信じてもらえない。

 

 

これほどつらい経験はありません。

 

私も小学校のある出来事を今でも覚えています。

 

それは、算数の授業で、割り算の宿題をみんなで答え合わせするというものでした。

 

例えば

 

「6÷3は2です。どうですか?」

 

とみんなに尋ねるんです。

 

それが合っていたらみんなで

 

「あってまーす」

 

と叫び、間違っていたら

 

「まちがってまーす」

 

というものでした。

 

僕の席の前の人たちが

 

「どうですか?」

 

とその宿題の答えを言っていくとみんなが

 

「あってまーす」

 

と声をかけていました。

 

そして僕の番がきた。

 

そして私も答えをいいました。

 

「●は●●です。この答えはどうですか?」

 

って。

 

 

すると、みんながいっせいに「ちがいまーす」

 

と叫んだんです。

 

 

私は自分の答えに自信があったので、

 

「まちがっていないよ~」とみんなにいうと、

 

「そんなわけないじゃん」

 

「お前がまちがっているよ」

 

といろんな人が私を攻撃してきたんです。

 

 

でも結局、僕の答えがあっていた。

 

 

この意味、わかりますか?

 

 

人は勝手なんです。

 

 

私も勝手、そしてあなたも勝手、み~んな勝手なんです。

 

 

私達人間は自分たちの答えが間違っているのに、

 

人数が多いから「俺たちは正しい」んだと決め付ける。

 

 

今日の聖書にでてくるロトさんも同じような状況におかれました。

 

 

神様の正しい言葉をみんなに話したのに、みんながロトさんがウソを言ってるよと思って決め付けたんです。

 

「そんなのあるわけないじゃん!ばっかじゃないの?」

 

と言って・・・。

 

人は、間違っているのに自分と同じような人たちがたくさんいると自分もそうなんだと信じちゃいそうになります。

 

でも断言しましょう。

 

 

この世界にあって一人を除いて正しい人は誰ひとりいません。

 

じゃあ正しい人は誰でしょう?

 

それはイエスさまです。

 

そしてイエス様の事が書かれているこの聖書が正しいんです。

 

みんなは誰の事を信じていますか?

 

友達ですか? 親友ですか? 学校の先生ですか? 家族ですか? いやお金ですか? ゲームですか?

 

あなたは何を信じてる?

 

友達?親友?

 

 

何を信じているか?

 

これは本当にとても大切な事なんです。

 

最近よく人を殺す事件のニュースが多いですが、あれはなんで起こるんでしょう?

 

それは友達から裏切られたからなんです。

 

親友から裏切られたからなんです。

 

学校の先生から裏切られたからなんです。

 

お金から裏切られたからなんです。

 

だからみんなこの世の世界がめちゃくちゃになればいいと思って、人を刺すんです。

 

じゃああなた自身は信じているものが裏切られたからと言って人を刺しますか?

 

友達から裏切られたら人を刺しますか?

 

親友から裏切られたら人を刺しますか?

 

 

学校から裏切られたら人を刺しますか?

 

 

家族から裏切られたら人を刺しますか?

 

 

お金から裏切られたら人を刺しますか?

 

でもそれは違う。

 

 

神様は「殺してはならない」と言われる。

 

あなたが何を中心に置くかで人生は、変るんです。

 

 

だからあなたには何が正しくて何を中心に信じるのかをここで知って欲しい。

 

 

それは友達でも親友でも家族でも学校の先生でもお金でもありません。

 

 

それは神の御言葉なんです。

 

 

あなたには神の御言葉を是非信じて欲しい。

 

それは神もあなたに求めておられる事だから。

 

神は、あなたを愛しているから、あなたに罪人として罪を重ねて欲しくはないんです。

 

 

どうぞ、いつもあなたが読んでいる聖書の御言葉をもう一度しっかり覚えて信じて欲しい。

 

 

今日、十戒もみんなで覚えました。

 

1.あなたには、わたしのほかにほかの神々があってはならない

2.あなたは自分のために偶像を作ってはならない

3.あなたは、あなたの神 主の御名をみだりに唱えてはならない

4.安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ

5.あなたの父と母を敬え

6.殺してはならない

7.姦淫してはならない

8.盗んではならない

9.あなたは隣人に対し偽りの証言をしてはならない

10.    あなたの隣人の家を欲しがってはならない

 

中学校や高校に行くと万引きブーム的なものが必ずあると思う。

 

「お前万引きしたことないの~」

 

と、友達から馬鹿にされ、自分も万引きをしないといけないような雰囲気になる。

 

でも、そんな自分の心に迷いを感じたら神が「盗んではならない」と言われた事を思い出してほしいんです。

 

そうしたら必ずあなたは誘惑の言葉に打ち勝つ事ができると思う。

 

それは神が共にあなたとおられるから。

 

この世の世界にはいっぱい間違った事が多い。

 

そして友達も先生もお金も私をそしてあなたを裏切るときがあると思う。

 

 

でもそんなときは神様の言葉・この聖書の御言葉を信じてください。

 

みんなが

 

「その聖書の御言葉は違うよ!」と言ってもそうじゃない。

 

正しいのは御言葉なんです。

 

御言葉を信じて生きていけば必ず神様がいつもみんなそばにいてそんな間違いから守ってくれます。

 

そして自分が間違ってしまったとしても、神様は赦してくれるはずです。

 

間違った意見に惑わされそうになったり、友達からの間違った誘いがあったときは必ず神様の言葉を思い出してください。

 

そしてまず神様を第一に信じて生活していきましょう。 

 

お祈りします。

古希を祝う

8月に古希を迎える男性の兄弟のお祝いがありました。

神の家族として教会ではみんなでお祝いするんです。

素晴らしいですね。

神が結んでくださった家族です。

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苦難と言うスポットライトを浴びて

祈ってきた事が少しでも実現する。

 

これほど私達に喜びを与えるものはありません。

 

でも私達は今の現実の自分を思うとき、祈りとはなに?と考え込んでしまいます。

 

今の現実を見ると、

 

「祈ったって何も変わらないじゃないか!

 

祈りなんていいから今のこの現実の苦しみを取り除いてよ」と。

 

私達・人間はどうしても苦難に耐え忍ぶ事ばかり思わされていると、その向こうにある喜びを知る・見る・感じる事がなかなかできないでいるようです。

 

しかし、神の恵みは確かにある、祈りによって支えられている自分がいるという事を是非皆さんにしっかりと受けとめてもらい、喜びを持っていってもらいたい。

 

今日の聖書箇所でイエスは、あなたがわたしのために迫害され身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい

と言われました。

 

皆さんどうですか?ここを読んだ時・・。

 

イエス様も結構、酷な事を言う人だな~と思いません?

 

だって、迫害されている人たち、苦難にあっている人たちに、私のために迫害されている事はいい事だ!悪口を言われている事はいいことだというのですよ。

 

これが世の中なら、あなたが苦難にあっているのは先祖の霊がおこっているからですよ。とか、

お金を寄付しないからですよとか言って、お金で買おうとするくらいになんとかその苦難から必死に逃れようとするのに。

 

でもイエス様は違う。

 

天には大きな報いがあるから大いに喜びなさいといわれる。

 

こんな事をいうのはこの世の中でただイエス様だけなんだと私は思います。

 

そしてそのイエス様を神の子と信じている私達クリスチャンは、イエス様が言われてることだからと思い、とりあえず御言葉として受け取ってみる。

 

でも私なんかとくに不信仰者ですね~。

 

いざ自分に苦しみがきたり、悲しいことがあると受け取ったはずの御言葉がぽーんと抜けてしまい、

 

「なんでこんな事にあうんだよ!」

 

と叫んでいる自分がいるんですよ。

 

もし、わたしがこの御言葉をしっかりと受けとっているならば、苦難がきても苦しみが自分を襲ってもこれは恵みだと言って、苦難に耐え忍ぶ・背負うことができるのでしょう。

 

でも、人間ってそんな強くない。

 

頭で私達が御言葉を聞いて理解しても、

 

実際に自分の目の前に苦難や苦しみが来たら一瞬で、

 

頭は真っ白になって頭で理解した御言葉なんて吹っ飛んでしまうんじゃないでしょうか?

 

イエスの弟子たちがその象徴的な存在なのだと思います。

 

あれほど、イエス様と共にいて肌でイエス様を感じ、イエス様の言葉に耳を傾けていたのに、

 

そして一番弟子のペトロはイエスに

 

「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」

 

と言っていたのに、

 

結局はイエス様が捕らえられ、十字架にかかったときは、つまずき逃げてしまった。

 

ペトロやその弟子達は苦難が目の前にきたときにそれまでのイエス様が言われたあの、

 

「あなたがわたしのために迫害され身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい」

 

という御言葉をすっかり忘れてしまって、目の前にある苦しみから、なんとしてでも逃れようと逃げて逃げて逃げまくった。

 

これが私達の姿なんでしょうね。

 

でもイエス様はその事があったにも関わらず、イエス様から弟子たちに方に会いにこられた。

これこそ神の愛なのでしょう。

 

もうどうしようもない、もうあなたの顔を見ることができない。どうしようもないというときにこそ、神が働いてくださる。

 

わたしにもそしてあなたにも働いてくださる。

 

もうあなたに背いてばかりであなたに祈れない。あなたの言葉を受け取れない

というときにこそ、神はあなたに働いてくださるのです。

ときに、このときの弟子たちはどういう態度を取ったんでしょうか。

 

もしこの弟子たちの中に私がいたらたぶん、目を丸くして顔を赤らめてイエス様の顔をまともに見る事はできないと思います。

 

でも、そんな戸惑う弟子たちに向かってイエス様は、「あなたがたに平和があるように」とそっと神の愛で包み込んでくださいました。

 

そのときの弟子たちの心はきっと雲ひとつない青空のようにどんどん心がはれわたったんじゃないでしょうか。

 

そして弟子達はこの復活したイエス様を見て、そしてイエス様の絶え間ない愛によって、弟子達はそこで初めてイエス様が語ってこられた御言葉を頭ではなく信仰によって受けとったんだと思います。

 

なぜなら、復活したイエスを見てからの弟子達は、どんどんどん変わって、それまで自分の目の前にある苦難や苦しみが悲しみがきたら逃げていたのに、そうではなくなり、イエスの御言葉を胸に果敢に全世界に伝道していったのですから。

 

弟子達に苦難が訪れなくなったわけではありません。

 

逆に、宣教にするにあたって多くの迫害が彼らを襲ったのです。

 

でも彼らは世界に福音を宣べ伝える時、どんな苦難が合おうがいつもイエスの言われたあの御言葉を常に思い出したんです。

 

「あなたがわたしのために迫害され身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」と。

 

ですから今日私達もこの御言葉を聞くことができるのです。

 

この聖書の箇所は何かの歴史の教科書の言葉ではなく、私達の人生に、私にそしてあなたに神が今、示してくださっている言葉なのです。

 

「苦難を喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」と。

 

私も神が示してくださっているこの言葉を胸に「苦難は恵みである」という事を自信を持って言って見たい。

 

けれども、この言葉は生半可な思いで・いい加減な思いで言う事は許されないと私は思います。

 

それは苦難で悩んで悩んで、路頭に迷って、希望を失っている人々が、私達の回りには多く存在しているからです。

 

苦難によってやる気を失い、目標を失った人がいる。

 

苦難によって大きく苦しんでいる人がいる。

 

苦難によって絶望している人がいる。

 

苦難によって死を選ぼうとしている人がいる。

 

人生を捨てようとしている人達が私達の周りにはいるのです。

 

苦難はどんな人にもやってきます。

 

私だけではない。あなただけでもない、この世にあるすべての人間にやってきます。

 

苦難が恵みとだと知るとき、それはただ自分だけが知っていいものではない。

 

『苦難は恵みである』と言えるときにこそ周りで絶望している人、路頭に迷っている人たちに積極的に神の福音を告げ知らせる使命を負うのです。

 

そう、弟子たちが復活したイエスを見て、そして神の愛に触れてその愛に包まれ神によって私は愛され守られているという事を知ったとき、弟子たちがこの世へとでていき、

 

そして自分に与えてくださっている神の愛を、まだ知らない人々に教えはじめたように。

 

苦難が恵みである。この言葉はそれほどに信仰によって御言葉を受け取ったときの言葉でありそしてその言葉は自分では終わらず必ず他者に知らせるときに初めて使える言葉なのです。

 

イエスは、天に上げられる前に、弟子たちにこう語られました。

 

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と。

 

これは私達にも言われていることです。

 

でも私達にはこの御言葉はときに自分とは遠いように感じてしまう。

 

でも今日是非、神の愛があなたに絶え間なくふり注がれている事を知ってほしい。

 

それを知れば、もうどんな苦難であろうとも恐れることはなく、苦難が恵みであると言える日が近づくことでしょう。

 

そしてこの言葉を自分だけでは終わらせたくなくなり他者にこの事を知らせたくなるはず。

 

それほどにこの教会における恵み、そしてあなたに降り注がれている神の恵みはこの世のお金・すべてのものにはるかに勝り、そしてどんな宝石よりも輝いているのです。

 

私達が今こうしているときもすでにあなたには大いなる恵みが神から与えられています。

 

それはなぜか?

 

それはこの礼拝が天の国の先取りだからです。

 

イエスは、「天には大きな報いがある」と言われました。

その天の国の一部をこの礼拝で垣間見ることができる。

 

それはあなたが永遠の命、天の国に招かれているということです。

 

教会は、天の国とこの世とを結ぶ場所です。

 

あなたはその場所に今日来ることができた。

 

つまりあなたは永遠の命へ、天の国への切符を手にしていると言う事なのです。

 

今日皆さんがここにいるのは、あなたのわざじゃない。あなたが決断したからじゃない。

 

神がここにあなたを招いてくださったのです。

 

聖霊があなた方を用いてくださったからここにおられるのです。

 

ですからもう安心して下さい。

 

礼拝にはそれほどの力があります。

 

これまで苦しくて苦しくてたまらなかったけれども、そしてその苦しみがすべてであると思っていたけれども、この教会へとあなたはこうして招かれた。

 

この大変なこの世でよく頑張ってこられました。

 

あとはもう神にまかせていれば大丈夫。

 

神様に任せれば素晴らしいことが必ずおこります。

 

神は今日、あなたに御言葉を与えてくださった。

 

「あなたがわたしのために迫害され身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

 

これまでのあなたの苦しみはあなたが救われるために必要なものだったのです。

 

そう、あの弟子たちのように。

 

そして、その事に気づいた時、あなたをキリストの弟子として派遣されるのです。

 

恐れる事はありません。神はいつもあなたと共におり、言葉や行動を前もって用意しなくても神がそこで働いてくださいます。

 

伝道者パウロも1コリント1章26節でこう語っています。

 

『兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。

 

人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけではありません。

 

ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力なものを選ばれました。

 

また神は地位ある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです』と。

 


キリストの弟子として私たちが神の義のために、人生を歩んでいくとき、

 

野球やサッカーみたいに、競技をやっている最中は、この試合がどうなるかわからないと不安を感じストレスを覚えることがあるかもしれない。

 

途中で点を入れられてしまい、ああおしまいだと意気消沈したりしてしまうかもしれません。

 

けれどもどんなに点を入れられても、どんなに点差があったとしても、負けると思ってしまっていても、最後の最後には神の勝利で終わるのです。

 

これが神が私達に示してくださっていることです。

 

ですからどんなに苦難があろうが、困難があろうが必ず勝利で終わり、そして永遠の命という続きがある。

 

そしてそのあなたの苦難がキリストの福音を語り伝える大きな器として用いられるのです。

 

これは神が私達に示してくださっている真実です。

 

私達が勝利で終わることを確信し、今日の御言葉を信仰によって受け止めることができるならば私たちは希望を捨てるはずがありません。

 

あきらめるはずがありません。失望するはずがありません。自ら死を選ぶはずがありません。

 

「苦難は恵みである」と言うことは簡単なことばではありません。

 

けれども、是非苦難の向こうにある神が与える喜び見て、知って・感じてほしい。

 

苦難と言うスポットライトを浴びているあなただからこそ神ははあなたをキリストの弟子として大きく用いられるのです。

 

あなたが信じてここから出て行きさえすればあとからついてきたイエスが必ずなんとかしてくださる。

 

そう信じて出かけましょう。

 

主の祝福があなたがたにありますように。

 

祈ります。

フェスティバルの写真

花園フェスティバルでは、輪投げやダーツ、ゴム鉄砲、カキ氷やヨーヨー釣りなどの昔ながらの遊びと任天堂ゲーム機Wiiを使ったホームラン大会が行われました。

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いっぱい釣っていた子どももいましたよ。

下は赤ちゃんから上は80歳以上のおじいちゃんまで、みんな楽しい時間を過ごしました。



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ダーツに夢中になる子ども達。

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ホームラン大会は中学生の女の子が優勝しました。優勝者にはトロフィーと任天堂限定タッチペンが授与されました~!

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福原タカヨシライブも大盛況でした!


是非、次回も企画したいと思います!!


フェスティバルは盛況でした!!

フィスティバルは盛況のうちに終わりました。

来てくださった方、そしてスタッフをしてくださった方々本当にありがとうございました!

是非またやりたいですね。


詳細についてはまたここでお伝えします。


今日は、今週の日曜日にデビューした赤ちゃんとそしてママさんたちの写真をアップします!!

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どんどん子ども達がふえているみたいで教会の中もとても明るくなっています!

花園フェスティバル開催決定!!

花園フェスティバルが7月20日に開催される事が決定しました!!


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花園教会ってどんなとこ?

主日礼拝:毎週日曜日
10:30~12:00




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絶望のあるところには希望を

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