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京都・花園キリスト教会

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京都にあるキリスト教の史跡巡り

久しぶりに、京都ミステリーのカテゴリに入れられる記事が書けます。


今回、花園教会・壮年会主催のキリスト教に関係する『キリスト教史跡巡り 日帰りツアー』に参加しました。

個人的に戦国〜江戸時代、幕末〜明治の日本のキリスト教に興味をもっており色々と文献をあさったりしていたのですが、恥ずかしながらあまり実際に史跡を巡る事はなかったため、私にとってとても良い機会となりました。

今回訪れたところを時系列に、、

京都駅に集合し


さすがに観光世界一に輝いた京都 外人さんがここ数年ホントに多くなりました。

バスで同志社大学


同志社もどんどんきれいになりますね。

NHK大河ドラマ『八重の桜』が放映されて以降は、八重さんも押しているポスターを見ます。

さて同志社大学は旧薩摩藩邸の跡地にできました。


八重のお兄さんである山本覚馬が新島襄に譲渡したものです。

この話は有名ですよね。

実はその中に、南蛮寺跡があります。

 

南蛮寺は、1575年に建てられたキリスト教(カトリック)の教会の事です。

ちょうど信長が安土城を作っていた頃。

ちなみにこの安土城が初めて天守閣を作ります。(諸説あるようですが、、)

これは西洋の居城をイメージからヒントに作られたものです。

それ以降は日本の城の形は天守閣のある城へと変わっていきます。

しかし、信長は天守閣を『天主閣』という漢字を使いました。

これはカトリック教会の漢字(天に神が存在するという意)からヒントを得たんだと思いますが、彼は自分を神としたといわれますし、このようにつけたんでしょう。

ともあれ、そんな中の京都で初めて建てられた教会(高山右近などの協力も得て)がここなのです。



さて、次は目の前にある教会


この教会はプロテスタント教会の煉瓦造りとしては最古の教会です。

この教会は新島襄が所属していたアメリカン・ボードの宣教師たちの協力を得て作られました。

新島襄の本を読みあさっていた自分にとっては嬉しい訪問となりました。

さて次は、


もうひとつの南蛮寺跡です。

京都には2〜3か所あったといわれます。

しかし徳川幕府の時代にすべて弾圧対象として焼かれてしまいました。


これを読むと相当綺麗な教会だったようですね。残念。

徳川の時代のキリスト教の弾圧は世界でも類を見ないほどに組織だった恐ろしい弾圧でした。

当時のキリスト教人口が日本人の人口の6〜7パーセントといわれます。

数十年でゼロからこの数に増加した事は、確かに時の権力者にとっては脅威でしょう。

ですから徹底的に弾圧したわけです。 

弾圧方法については最初は火やぶりでした。しかしこれでは殉教の熱が出てしまうという事から弾圧方法を殺すことから、棄教へとシフトします。

その方が、信仰心を失わせやすかったからです。 遠藤周作の「沈黙」など読んでもらえればそれを垣間見れるのではないでしょうか。

それはさておき、弾圧方法は対象者を
①逆さ吊りにして

②内臓が肋骨近くに集中し窒息死しないように腹をこれでもかと縛り上げて内臓を固定化させる


③頭上には大きな穴を掘り、そこに糞尿をいれる


④すぐに失神・死なないようにこめかみに小さい穴をあけ、少しずつ血が流れるようにする


⑤ドラや太鼓などの大きな音をたてて精神を狂わす


⑥24時間、、これを数日間行う


結果⇒対象者に、棄教か死を選ばせる

という棄教させるためには絶大の効果を生む方法を編み出しました。

とてつもない残酷な方法です。身体だけでなく、メンタルも破壊させるという世界最凶の方法です。

ちなみに棄教したとしても一生監視がつき(宣教師は、独身の誓いを立てますが、それを崩すために&監視させるため、女性と強制的に結婚させたりしました))、一生軟禁状態におかれました。


日本人はとっても優しいですが、島国という事もあり『恐れ』に対してはとても敏感です。

恐れからでた政策・組織体制が一度、構築されると最凶になります。

この最凶の出来事は歴史から学べます。

日本人は自分たちの負の遺産に目を向ける必要があるでしょう。

しかしこの事実をどれだけの日本人が知っているでしょうか?

どんな理屈を重ねても人を殺めてきた事実は事実として認めなくてはなりません。

そうしなければ希望の未来はやってきません。


さて次は、今話題にパワースポット、清明神社です。



これは映画『安倍清明』から話題になりましたね。

ここには千利休の屋敷があったといわれます。

一説では千利休の作法は、キリスト教の聖餐式にも繋がるとか。

興味深かったのは清明神社と隣のお店が対立しているという趣旨の看板があったことです。
許可なく清明グッズを売っているとか。。。

逆にそのお店を見てしまいました。


続きましては二十六聖人発祥の碑です。

長崎に行くと二十六聖人の銅像がありますが、彼らは実は京都の人たちだったんですよね。

子どももその中にいて、耳を切られて市中引き廻しにあったあと、長崎まで800キロの道のりを歩かされたわけです。

なんという日本の歴史でしょうか。。



ここにはキリスト教の病院がありました。そこで何を治療していたかといいますと最新医療はもちろんの事、不治の病としてまた差別されていたハンセン氏病患者を受け入れる、まさに終末医療の最前線の現場でもありました。

ですから、周りの人から最初は忌み嫌われていたようですが、怪我をしたまた貧しい人たちも診て、また衣服も新しいものを与えていたそうですから、段々と地域の人たちも受け入れるようになり、感謝されるようになっていったそうです。

そんな歴史があったことも日本人には知ってほしいですね。



修道院・病院跡地は以前は『フランシスコの家』という資料館となっていましたが、耐震補強ができないという事から、取り壊しになってしまいました。

更地とされる予定でしたが、最終的には今は綺麗に整備されてチャペルだけは残っているようです。

また資料館みたいなものができるといいのですが、、、取り壊しになる前に訪れておいてよかったです。




最後に烏丸四条のちかくにある南蛮寺をみて終了です。

大変暑い日でしたが、とてもよい経験が与えられました。


余興で、後祭りの鉾もみれました!



ちなみに四条通は歩道が広くなりました。

が!アーケードの屋根は当たり前ですが前の歩道の幅しかないので、

あっつい日光が広くなった道に降り注ぐため、ほとんどの人が以前のように昔の歩道の幅の中で歩いていました。

「意味ねーー」 と心の中で思いました(笑

こんな感じです。


是非皆さんも京都のキリスト教の遺跡を探してみてください!
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