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京都・花園キリスト教会

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パウロの祈りから学ぶ

ラブゴスで行われたメッセージです。

新約聖書:フィリピ1章3節~11節

******************
私達は聖書の御言葉をどのように捉えているでしょうか?

 

また福音どのように捉えているでしょうか。

 

そしてイエス・キリストの福音からでてくる宣教をどのように捉えているでしょうか。

 

また祈りをどのように捉えているでしょうか。

 

 

パウロはまず祈りにおいて感謝を捧げています。

 

それはフィリピの教会の人々が洗礼をうけて神を信じるようになってから今の今まで自分が信仰をもって福音に預かり、


福音に生かされ、福音にのっとって生きていることに感謝し喜んでいるのです。

 

 

私達もよく祈ることをします。

 

でも、私達はよく自分の祈りをする事が多いのではないでしょうか。

 

こうして欲しい。

 

これを叶えてくれ!

 

私は今までこうしてきたのだからこうしてもらわないと困りますなど。

 

 

私達はパウロのように自分の身近な人のために祈りそしてそのために喜び感謝して祈っているでしょうか?

 

 

それはもちろん

「わたしの友達をこうしてください!」

とか

「こうして変えて下さい」

 

という自分本位のお願いだけが祈りではありません。

 

パウロのように自分の身近な人がクリスチャンであるならば、その人が今までイエス・キリストの福音に接する事が出来ている事を感謝し、

 

もしまだイエス・キリストを知らないのであれば、その福音にふれて欲しいというキリストを中心としたキリスト本位の祈りをすることなんです。

 

 

そう、私のそして私の隣の人、身近な人の恵みとは自分の思いによって叶えられるものではなく、キリストにあって、キリストの福音にふれる事自体が恵みなのです。

 

これは宣教も同じです。

 

この人はクリスチャンじゃないからクリスチャンにさせないといけない、というときに間違った思いを私達は持ってしまいます。

 

クリスチャンにする行為自体はすべて神がなされることであって私達がするのではありません。

 

もしわたしたちがクリスチャンにしようと思い行為するのであればそれは他人を洗脳するか自分のコントロールの配下に置くに他なりません。

 

宣教とはそうではない。

 

宣教とはまず祈りをもってはじめ、その祈りはまず自分ではなく他者のために神に感謝し祈ることです。

 

パウロは6節でこう語っています。

 

「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」

と。

 

私達は神がすべて成し遂げられると確信するからこそ、他者のために祈ることができるのです。

 

そして7節ではこうも語っています。

「わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。」

 

そう、つまり宣教、福音とは自分だけに生かされるものではなく、

イエス・キリストを信じている人々との祈りとこのような交わりがあるからこそなされるものであるとパウロは考えているのです。

 

私達は時に、クリスチャンはこうではなくてはならない!

 

宣教はこうしなければならないと批判します。

 

その人が若く信仰的にまた宣教に熱心な人ならなお更です。

 

でもこんなとき気をつけなくてなりません。そういうときほど周りが見えないのです。

 

パウロは7節で恵みの共有。共に恵みにあずかる者と強調しています。

 

そう私達は、共に福音を共有し交わる事が一番大切なのです。

 

どうしても熱くなると自分本位に成りがち。

 

しかしそうではなく他人のために感謝して祈りそして、このように交わりと賛美をしていく事それで愛を知る事ができる。

 

そうキリストから生まれるアガペーの愛です。

 

そしてそこには一致がうまれます。

 

その一致の動力はなんでしょう。

 

それはイエス・キリストからでてくる愛、すなわち、私達がイエス・キリストが私達の救い主であるという信仰の告白です。

 

私達はこの一致の元に祈り、賛美し、宣教するのです。

 

私達はこの「イエス・キリストが私達の救い主である」と知るとき、自分のために身を捧げられた事をホントの意味で知り、

 

「自分はココにいていいんだ」

 

「自分はこの世に存在する価値の多いものだ」と自分の本当の価値・あなたがこの世界にあってダイヤやお金に勝る財産であると知る事ができます。

 

 

私達もその事を知り、この世界で今の今まで、聖書を読み、御言葉を聞き、福音を聴くクリスチャンとして生きていることを感謝する事ができていくならば

 

世における苦しみ悲しみもすべて、キリストの福音において益とされていくと私達はその時は分からなくてもいつか必ず気付く事ができるのです。

 

 

なぜならこのすべてのものの起源も完成も神ご自身によるものであるからです。

 

 

どうぞ私達もパウロに習い、祈りや賛美をキリストを中心としたキリスト本位の仕方で、まず隣の人、身近な他者、家族・友人の感謝のために始めていこうではありませんか。

 

 

お祈りします。

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続:カトリック教会の事全然知りませんでした。

ルターが95ヶ条の提題をヴィッテンベルクの城教会の戸に掲げて(宗教改革の始まり)から482年目にあたる1999年10月31日、世界ルーテル連盟(ルター派の教会)とローマ・カトリック教会は、

「救いは信仰による」と確認する共同宣言に署名し、

教義上の根本問題において両教会が和解。


世界のエキュメニカル運動(全教会一致運動)・対話における歴史的第一歩である。


★つまり、宗教改革が始まるきっかけとなった根本の問題(私たちは神を信じる信仰によって救われる)が解決したのである。

カトリック教会の事全然知りませんでした。

花園教会ではラブゴスの賛美の他に、青年会例会が月一度あります。

今回はプロテスタント教会が全然知らないのによく批判がちのカトリック教会について勉強しました。

発表者はカトリック神学をちゃんとカトリックの大学で4年間みっちり勉強した方です。


その内容をちょこっとだけ(一部カトリックの方々の意見をそのまま反映しています)

******************
マリア崇拝は誤解!!


プロテスタントがマリア崇拝しているという考え方は、誤解と言える。

まず、マリア崇敬は、あくまで崇敬であり、崇拝ではない。

歴史的・沿革的に、マリア崇敬は、神であられるイエスさまのお母様としての尊敬を元にしている。

でありますから、いくら尊敬され、崇敬されているにしても、神であられるイエス・キリストと、マリアでは全く一線を画されるものである。

尊敬の度合というか、質が違うといえる。そうですから、マリア「崇敬」という言葉はありますが、マリア「崇拝」という言葉はない。(第二バチカン公会議で完全明記)

カトリックを批判されるのは自由かと思いますが、せめて用語は正確に使っていただきたいと思いました。(カトリック側の意見)

プロテスタントの方は、聖書の文言をとても重視されると聞きますところ、イエスも、親を敬いなさいと、聖書で明確におっしゃっておられます。十戒の内容でもあります。

また、マリアさまが神とわたし達との仲介者、という考え方も不正確だと思いました。

なぜなら、確かにわたし達カトリック教徒は、マリアさまにとりつぎのお祈りをもしますが、直接神さまに対してお祈りすることの方が圧倒的に多いからです。

祈る時も、マリアさまに「対して」お祈りするのではなく、ふつうは、マリアさまに一緒に祈ってください、とお祈りするものです。

プロテスタントの中の人には、マリア崇敬は聖書に書いていないから間違いだという方もいます。

しかし、プロテスタント教義の中で、聖書に明確には書いていないことはたくさんあると思います。

お酒やタバコの禁止(これはプロテスタントの教義ではなく道徳的な側面が大きい。これはプロテスタントの本質ではない。悪しからず)や、

三位一体の教義や、キリスト教徒は何かの一応のメルクマールともなるニケア・コンスタンティノポリス信条、使徒信条ですら、イエスさまが活躍された時代のずっと後に決まったものです。

それどころか、聖書自体、5世紀までは今の形に決まっていません。

あくまで、今の東方正教会とカトリックが、原始キリスト教の時代から、長い時間をかけて聖書を編纂作成してきたのです。

もっとも、だからといって、聖書が重要なものでないというわけではありません。

わたし達カトリック信徒の信仰上も、もっとも大切なものの一つです。

ちなみに・・・


P1200012.JPG










ちなみにこれがお茶とケーキ

わざわざ僕たちのために教会の男性が作ってきてくれた手づくりケーキ


おいしかったな~。


今度はなんだろう・・・なんちゃって

今日はラブゴスの日

今日は毎月第3日曜日にあるラブゴスの日。

青年達と美味しいケーキと紅茶、歌ったり、お話を聞いたりしました。


今日のテーマは祈り。


<ちょこっとあらすじ>

私達もよく祈ることをします。でも、私達はよく自分の祈り・願いをする事が多いようで す。
『こうして欲しい!』とか『これを叶えてくれ!』、『私は今までこうしてきたのだから こうしてもらわないと困ります』など。

でも、私達は聖書にあるように他者や自分の家族・知人のために祈りそしてそのために喜 び感謝して祈ることをこのラブゴスで知りました。


それを思いみんなで歌いました。

青年達は毎週集まっているのでお気軽にどうぞ!

ラブゴスは毎月第3日曜日の午後3時からです!

花園教会青年会とは?

花園教会の青年会のいち風景です。 新米ママさんいたり、介護福祉士、プログラマーいたり、ミュージシャンいたりとみんな違う職業ですけどだからこそ仲良く、そして 楽しく、信頼合いながらやっています。


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主日礼拝:毎週日曜日
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絶望のあるところには希望を

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