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京都・花園キリスト教会

こども支援・SDGs・花園教会水族館のあるキリスト教会

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私たちは神によって新しい世界に立たされている

『7月前半の礼拝メッセージから』

おはようございます。

先週は雨の日が多く、九州また明日の研修旅行で行く山口など、多数の県で被害がでましたが皆さんの周りは大丈夫でしたでしょうか?

雨と言うのは大事なのですが、あのようなゲリラ豪雨になると本当に水の怖さを知らされます。

このようなゲリラ豪雨は温暖化が原因だといわれますが、それは私達人間がこれまで行なってきた事の積み重ねでもあります。

私たちはこのローマ書を通して罪の問題についてみてきました。

この現代社会においては、私達のうちにある罪、そして私達の罪から引き起こされる社会的な罪も段々とこのような形で、私達にも見える形で現われてきているのではないでしょうか。

私はこのゲリラ豪雨を体験し、また被害状況をみるときに、創世記の言葉を思い出します。

それは創世記1章26節~27節

「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、彼らが、海の魚(うお)、空の鳥、家畜、血のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」

神は人をご自分のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

神は、神ご自身にかたどって男と女を創造されました。

そして神はこの男と女の人間に、これまで神が造ったすべてをちゃんと支配するよう命ぜられたのです。

キリスト教を批判する人はこの箇所を用いて批判します。

私もめんど向かって批判されたことがあります。
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プール解禁&絵本の読み聞かせ

暑い夏がやってきました!!

もうこれは水遊びをするっきゃない!ってことで、この日曜日から

プール解禁!しました。


全長2メートル8センチのドデカイプールを広げ、子どもに開放することにしました。

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そしてもうひとつの幼児用プールも解禁!

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暑い夏はこれで乗り切っていこうと思います(笑


そして遊び終わった後は、

絵本を読んだり、読み聞かせの時間に (プールの時間と絵本の読み聞かせは前後します)

いやーこの日曜日も充実した一日でありました♪

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ちゃっかりリトミックと絵本の読み聞かせも宣伝しています

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どなたでもどうぞ奮ってご参加ください。毎週日曜日あさ9時から開放しています

津和野-殉教地 研修レポート3:キリシタンの信仰

津和野に153名の長崎・浦上村の方が連れてこられた。(江戸後期~明治2年の間に)

つまり明治に入ろうが、キリシタンに対する迫害はめちゃくちゃすごかったという事になります。

津和野では明治6年のキリシタンに対する高札が撤去されるまでの間に、36名が殉教した
(この中には5歳の女の子もいる‐飢餓でなくなった。)

また54名が形の上では教えを捨て、63名が信仰を守り抜いた。

その後、津和野ではキリシタン迫害の名残りのものは取り払われた。

寺は取り壊され、池は埋められ、敷地は農地に変わった。

それから20年後、フランス人宣教師ビリヨン神父が津和野を訪れ、殉教者の遺体を探し掘りだし、遺骨を見つけ、ひと山隣りの千人塚に立派な墓石を立てそこに埋め直した。

そこに「信仰の光」と刻んだ記念碑を建てる。

それから長い年月が経ち1939年カトリック教会は乙女峠の土地を買い取り戦後、聖母マリア聖堂を建てた。


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これが津和野が殉教地とされる所以である。

ここで重要なのはキリシタンの遺体を掘り起し墓石を立てたのは宣教師だという点だと思う。

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教会から三尺牢のパノラマ

近畿地区NYIでプレゼンした【キリシタンについて】の資料

※キリシタン禁教の高札が撤去された後も正式に認められたのはそれから数十年後なんです。だから実際は迫害されていた明治の間の期間は長いんです!!








副題:キリシタンの信仰に学ぶ(あなたへのメッセージ)

主題:『私たちは復活の力によってキリストに生き、明日を希望する』

おはようございます。

先々週の土曜日に京都地区も梅雨明けを向かえ、雨がやっと終わったと思いきや今度は晴天すぎて、猛暑日が続くというなんとも極端な天気に見舞われています。

すでにこの一週間でこの暑さから来る熱中症で50人以上の方が亡くなり、6000人近い方が病院に搬送されたそうです。

どうぞ皆さん体調管理、特に水分と塩分が不足がちになるこの酷暑、ジュースであるならばポカリスエットなどのスポーツドリンクを携帯してお出掛けください。

私も常に脱水症状を緩和するために常時携帯しています。

これはミンダナオ島に行った時に学びました。

私がミンダナオ島を訪れた際は、赤道直下の真夏の時期でしたので、暑さについては色々と学ぶ事ができたため、この日本においても実践できています。

そして、先週の研修旅行に際してもそれを生かすことができました。



津和野-殉教地 研修レポート2:なぜ津和野なのか?

わたしは今回、研修旅行を通してキリシタンの信仰を垣間見ることができました。

私たちは通常「隠れキリシタン」という呼び名と迫害を恐れて仏像の後ろに十字架をあしらって隠れて信仰を守っていたという程度しか知りません。

けれども実は、このキリシタン達が声をあげなかったら今の明治時代からのキリスト教の信仰継承はあり得なかったでしょう。

私は今「キリシタン達が声をあげなかったら?」と言いました。

私はこの研修旅行で乙女峠を訪れまでずっと実は、明治時代、キリスト教が布教できるようになったのは、

それまで鎖国を続けてきた江戸時代から明治に代わり、諸外国との貿易&条約を結ぶにあたってキリスト教を禁教していては条約や貿易に不利になるから、禁止を解いた
とばかり思っていました。

なぜなら私が学校の日本史でそう教えられてきたからです。(京都の友人もそう教わったと語っています)

私は学校の教科書において、「明治時代にキリスト教が布教できるようになった」という一文しか見たことがありませんでした。

けれども、真実というのは実はそんな単純なものではありませんでした。


ときは江戸時代から文明開化と呼ばれる明治時代に入ったとき、多くの外国人もこの日本に来るようになりました。

長崎はとくに江戸時代よりももっと多く外国人が来るようになったのです。

外国人が増えるという事は、キリスト教を信じている外国人も当たり前ですが、来日するわけです。

そうなると、キリスト教を信じている外国人にとっては教会がほしくなります。

ということで、外国人専用の教会が長崎にできました。

それが皆さんよく知っている大浦天主堂です。これも私は知らなかった・・・。

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この教会の姿を見たキリシタン達は250年以上、自分の信仰を公にしたら死罪になる恐れの中にいましたが、

この教会を訪問し、同じ信仰を持った外国人・そして教会を見て、これまでのように隠れる事をやめて、

キリシタンの女性が亡くなったことを機に、仏教で葬儀をする事を拒否し、自分がキリシタンである事を公にしたのでした。

(250年間の願いが一気に噴出したんでしょうね。250年・・・すごい年月です。
この忍耐には脱帽です)

しかし、明治であってもキリスト教禁教令は続いていました。

ここから浦上村の人たちは各地に分散されて拷問をうけることになります。

そのひとつが亀井藩の津和野でした。

当時津和野は、神道の教育に大変熱心な土地だったのです。

改宗させるにはもってこいの場所というわけです。



<ひと言>現代の日本はどんな宗教であっても、信教の自由が守られている事はすばらしいですね。

動画でみる釜ヶ崎覚醒剤撲滅キャンペーン パート2

覚醒剤の広がり・・東京は渋谷や六本木、大阪は釜ヶ崎が増えているという事で、

2010年7月17日午前10時より覚醒剤撲滅パレードが開催されました。

ちょっと早く着いたのでお世話になっている子ども&緊急避難施設である「こどもの里」を訪問し、子ども達と一緒に集合場所へ。

すでに多くの人たちが集まっていました。

ここにいるのはPTA・子ども達・ホームレス支援を行う人・学校関係者などなど・・・
様々な職種の人たち。

町あげて覚醒剤の撲滅を訴える。

今回このようにしてみんなで一致して声をあげるのは初めてということでした。

記者も多く来ていました。

  携帯はこちら⇒http://www.youtube.com/watch?v=C9krDFljdWw




そしてパレードが始まりました。私は娘を抱えながら参加です!
子ども達は先頭です。
勇気付けられます。

携帯はこちら⇒http://www.youtube.com/watch?v=NSmgNQsrAE8




研修レポート1:津和野・・・殉教地を訪れて

津和野のを訪れたのはこれで2回目です。

けれども1回目は私が幼少だったこともあり、あまり覚えていません。

この津和野は山陰の小京都とも言われており、その名のとおりとてもきれいな場所でした。

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[夜のメインストリート]

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[ライトアップされた津和野カトリック教会]


そして殉教の地でもあるこの津和野の乙女峠を訪問しました。

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[乙女峠に立てられた教会]



わたしは、これまで、江戸時代250年間にも及ぶキリスト教禁教令が明治時代に解かれたのは諸外国との
貿易&条約を結ぶため
のものだとばかり思っていました。

また私は学校でそう教えられてきました。

私は学校の教科書において、「明治時代にキリスト教が布教できるようになった」という一文しか見たことがありませんでした。


けれども、真実はそんな単純なものではなく、明治の初期にキリシタンが迫害されていることを諸外国が知り、

それに抗議された岩倉具視などが津和野や他の場所で行われたキリシタンを迫害していることがそんなに重要なことなのかと思わされ、

やっと重い腰を上げてキリスト教の禁教を掲げた高札をおろした
のです。

つまり、禁教令が解けたのはこのキリシタンの迫害・殉教者たちがいたからなのです。



ちなみに木戸孝允は長崎を訪れた際(まだ禁教令が出されていた頃)、「キリシタンの何人かを公開処刑して見せしめにしよう」と言及しています。

けれども長崎の外国社会を見てそれをやめたそうです。

なんとも真実は残酷なものでしょうか。


幕末などは美しい話ばかり聞かされますが実はこんな真実もあったのです。

やっぱり現場に行き、自分で勉強する必要があると私は思いました。

いずれ、このキリシタン殉教については教会でプレゼンしようと思っています。

ちなみにこの津和野では36人が殉教しています。

その中には、

5歳の女の餓死

極寒の津和野の真冬の中、裸で縦横1メートルしかない牢に入れられの獄死

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鞭うちをされ続けての死

などがあります。



また頑として改宗しない人がいれば、その家族(病弱な弟)を狙って悲鳴を出させて獄死させるなど・・・今では考えれない拷問が
あったなんて

・・・同じキリスト者としてこの事実をこれまで知らなかったことを私はとても恥ずかしく思いました。

また同時にどんな宗教でも信教の自由が与えられていることにとても感謝しました。

キリスト教徒もある時代においては他の宗教に対して迫害を行いました


けれどもこれからは宗教が違ったとしても、そんなことが起こらないように、私はこの事をきっかけに次の世代の人たちに少しでも伝えていければと思っています。

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花園教会ってどんなとこ?

主日礼拝:毎週日曜日
10:30~12:00




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絶望のあるところには希望を

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