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京都・花園キリスト教会

こども支援・SDGs・花園教会水族館のあるキリスト教会

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今さら聞けない放射能の基本的な事をお伝えします!!

とうとう近づいてまいりました!!

5月26(土)・27(日)に特別集会を花園教会で行います。


今回は、放射能から子どもを守るパパママの会代表の久米先生をお迎えして、放射能の問題を大きく取り上げます。

放射能・・・知っているようで全然知らない私たち。

見て見ぬふりをしても確実にこれは大きな問題になる事柄。

正しい情報こそが差別をなくします。

知らない事こそが差別を産みます。


多くの方々に是非ともご参加くださり、正しい情報を知ってください。
5月26日午後2時~午後4時まで  花園教会で開催!!




特集【小出助教との会談 @京都大学原子炉実験所】はこちら

http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Entry/552/




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故人に捧げるJAZZ

花園教会の教会員の方に捧げるJAZZミニライブが礼拝後、行われました。

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JAZZ-西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽

スピリチュアル、ブルース、ラグタイムの要素を含み、根底的には西アフリカ、西サヘル(サハラ砂漠南縁に東西に延びる帯状の地域)、ニューイングランドの宗教的な賛美歌やヨーロッパの軍隊音楽にある。

アフリカ音楽を起源とするものについては、アフリカからアメリカ南部に連れてこられたアフリカからの移民(多くは奴隷として扱われた)とその子孫の民族音楽としてもたらされたとされており、都市部に移住した黒人ミュージシャンによってジャズとしての進化を遂げたといわれる。
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思わず私もうるっとしてしまいました。

故人も本当に天国で喜んでおられると思います。

ご遺族に主の慰めが大いにありますように。









花園教会からもボランティア行っています!

東日本大震災から一年が過ぎ、

東北へのボランティアも少なくなってきました。

けれども花園教会からは多くの青年が今なおボランティアに行っています。

現在のボランティアは漁師さんのお手伝いをするボランティアです。


こんな感じの作業。。





とても簡単な作業ですが、とても貴重な体験です。

宗教・宗派問わず、どなたでも参加いただけます。

これまでに1000人以上を受け入れたナザレンJNCMのボランティアですので、安心してご参加いただけます。

どうぞ西日本も東北のことを忘れず、共に祈って生きたいと思います。






小出助教との会談 @京都大学原子炉実験所

今日は、私にとって非常に大きな出会いとなりました。

それは京都大学原子炉実験所の小出助教とお会いし、またお話を聞く事ができたからです。


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ナザレンには社会委員会という組織があり、私はその委員を務めているのですが

委員長先生のご尽力によって小出助教にお会いする事ができました。

詳しいリポートは社会委員会からリポートが出されますのでそちらから、、、詳しくは花園教会に来てもらうか、近くのナザレン教会に行ってもらってください。


ともあれ、この実験所にある研究用原子炉を見学し、様々な事を知る事ができました。

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放射能管理区域はこのように靴の上からビニールを被せます。
けれどもここの線量より、福島の線量の方が高いのです。

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研究用原子炉

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これは【
チェレンコフの光】
中に見えるのは原子炉で、稼働しているから青く見えます。
放射線と水が合わさると青になるそうです。
つまりいつぞやの東海村の事故で青い光を見たというのは、まさに臨界していたと言う事でこの光でした。
普通は見れないそうです。ちなみに東電の社長もここにきて初めてこの臨界の際、放たれる光をみたそうです。
神秘的でしたが複雑な思いで見てました。。



私は先生の本を読んだり、この実験所に関する事を私なりに勉強したつもりですが、

やはり実際に見て・聞いて・肌に感じる事はこんなにも違うのかと思われました。


見学後、小出先生と会談させていただきました。


小出先生との会談との中で、

なぜ先生は反原発へと進まれたのか?と質問したところ、


「それは理由は2つあります。そのひとつは、女川の人たちからの素朴な質問がきっかけです。

【原発はとても良いと言われるけど、そんなに良いものならなぜ? 仙台に作らないで、こんな田舎町に作るの?】 
-東北に初めて原子力発電所を女川に作る計画から

と。 

私は当時、原子力に憧れて東北大学の原子力の専攻に進んでいました。

しかし学生ながらにその疑問に誠実に答えようと勉強し肯定し立証しようとしたが、、、

勉強をすればするほどその疑問を肯定的に説明する事はできなかったのです。」


そして小出先生は、教授にも質問し、討論をぶつけていったそうです。


まさに真実を追求しようとする思いが先生の始まり。


これは今の若者に是非とも感じてほしいことです。 

疑問をそのまま放置しなかった先生の姿勢が今も生きていると感じました。


またこんな事もおっしゃっていました。


ドイツは「負の遺産を将来の子ども達に残さないように反原発へと舵をとった。

では一方の日本は、再稼働に向けて動いている。 

私たちは自分たちで負の遺産を解決しなくちゃいけないときにきてるんです。

将来にそれを残してはいけません」


私達日本人はどれだけ将来の子ども達の事を考えているのでしょうか。


被災地での子ども達の教育予算がどんどん削られている

。。。。そんな現状を目の当たりにしている私にとって、グサッとくるものでした。


これは私たちが解決しなくちゃいけない大きな課題です。


あなたはどうですか?



私達はこの大きな問題から逃げてはいけないと思います。


確かに難しい問題です。 


祝島にいったときも原発と過疎化の問題を見てきましたし、、、
私自身は原発は国が主導する貧困ビジネスだと思っています。

ですからとても難しいし、そんな簡単に解決する事ではないとも思っています


しかし、あの3・11以降、悲鳴・悲劇は続いているんです。


私達は、あの事故を忘れようとしていないでしょうか。。。でも続いている。


これが現実です。






小出先生は、

「私はこの事実を伝えていかなくてはなりません。今は私にとって戦争状態です。 

ですが、今倒れるわけにはいきません」


とおっしゃっておられました。




ちなみに教会に来ている学生たちから質問を預かっていてそれも小出助教にぶつけてみました。

誠実に答えてくださいました。

その答えは直接、学生たちに伝えたいと思います。



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小出先生、お忙しい中本当にありがとうございました。



>追記

先生に

「先生は、国会や調査委員会などに参考人として実態を説明されていますが、何か変化あるんでしょうか?」

と質問しました。


すると先生は

「3・11が起きる前までは、私の言う言葉は、無視すればよかった。空想物語として、、、

しかし、福島第一原発の事故によって、私の言った事が現実に起こり、私の言っていたことが正しかったのです。(勿論、嬉しいという気持ちはない。そうならないようにずっと訴えてきたのだから)

ですから国や東電は、私を無視できなくなった。

そういう意味では変わったかもしれません。

しかし、だから原発を辞めようという事はなく、とりあえず意見は聞こうというスタンス・形でしょう。

私の反対意見も聞いた上で、だけども再稼働する。 これが今の日本の現実です


・・・・、私はこの話を小出先生から聞いたとき、

福島の子ども達の保養を国を挙げて関わってもらいたいと思い、ある日本領事と会談した時の言葉を思い出しました。

「福島の大変な事情は今お聞きして個人的にはなんとかしてあげたいと思いますが、私達は出先機関なので、日本の外務省が動かない限り変わりません、、、いいえ、国会の先生方にとっていいものであり、先生方が動かない限り変わりません

私達からは変えられません。また私達から提案もできません。提案できるシステムがない」


【無いなら作ってよ】と思いました!

国会の先生にとってのいいものってなに??


これが今の日本の子ども達への対応です。しかも苦しんでいる子ども達への。。。


是非この日本の現実を皆さん考えてください。



簡単に解決できないからこそ、考える事を辞めず、逃げず考え、一歩一歩前進しましょう!



理想なき現実に発展はない、、、私はそう思っています。



全国NYI大会 in 札幌 無事終了!! 踊りは強制終了!?

ナザレンの青年・札幌大会が無事に終わりました~。

いやー講師ということで色々と準備しましたが、とりあえず皆さん満足してそれぞれの教会に帰っていったので

良かったです。

是非とも青年たちには自分の教会で祈りの課題を見つけ、頑張ってほしいと思います。

【若いときの苦労は、必ず実になり、、そして同じように苦しんでいる人達に必ず勇気を与えるのだから】

なーんちて偉そうなことを言っとりますが、


講演を始める前のオープンニングセレモニーが私にとっての最大の山場でした。


衣装を自分で作ってなんとか頑張りました。5時間以上は余裕でかかっとります。


いい具合にすべる感じで、、、まあ強制終了ですな!こちらは


講師がこんなことをするなんて前代未聞かも、、

まあいいです。

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是非とも仕えるものの姿勢をここで学んでほしいと思います。。。。なんか間違ってる気も、、ホントバカですね~私。。


まだこの踊りの動画をアップする勇気がありません、、、もうちょっとしたらアップするかも、、

ともあれ他の写真はこちらからどうぞ!

http://goo.gl/VzHxU



花園卓球倶楽部&新型うつの問題

本日より、花園教会青年会で花園卓球倶楽部を作りました~!!

いやーいい汗かきましたわ~。


そして自分が思っていたよりも卓球が弱いことを知りました(笑


まさにこれから鍛錬?します。

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また先ほどNHKスペシャル『新型うつ』について特集がされていました。

花園教会でも世代間ギャップについては一年以上前から取り組んできました。

まさに生きてきた時代が変わっていく中で、人も複雑化してきている。

その中で教会にもやっていくことがあるのではないか!?


という事で、私達の教会ではこの課題にこれからも取り組み、あがいていきます!!


ちなみにナザレンの青年機関紙に寄稿した文を少し掲載します。

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今の若い世代をある人はこう呼んでいるらしい。 【悟り世代】と。
ではなぜ【悟り世代】と呼ぶのだろうか?
それは、生まれたときから不景気が続き、政治を見ても、経済をみても、親を見ても、周りを見ても、『景気の悪い話』ばかり。
 
それを見て育った子ども達が青年になった時、彼らから出る言葉は「やったって意味がない。先が見えない事をやっても時間の無駄。」というどこか悟ったような言葉が返ってくるからだそうだ。 

そんな青年達に対して大人たちは「ハングリー精神がない!」「今の若者は!」と断罪し、愚痴をこぼす。

なんとも腐りきった悪循環だろうか。

ちなみに「今の若者は!」という言葉は今から3000年前のギリシャでも使われていた言葉だ。この言葉からもわかるように、人間はいつの時代も変わらない。

そして言える事はただ一つ。

この状況の中で「正しい者はひとりもいない」という事だ。

逆に、今の時代を作ったのは私達大人の責任でもあるのだから「今の若者は!」なんて言えたタチじゃない。 

私たちに今必要なのは【正しい者はひとりもいない】こんな世界に生きているからこそ、全き正しい者:イエス・キリストを信じて夢を持ち続け、どんな時でも希望の光を灯し続ける必要があるのではないだろうか。

その意味で苦難な中でもイエスを信じ尽くした先達のキリスト者を知る事はそのキーポイントとなる。

前回、新島襄の22歳にして日本人初の私費留学生になった話をした。

新島はその後、28歳のときに明治政府駐米大使:森有礼(もりありのり)(24歳)と会見。新政府からパスポートが発行され正式な留学生となり、岩倉使節団に加わったのだった。(臣下としてではなく自由人として)-ここで親交の深い津田仙の娘である当時7歳だった女子留学生:津田梅子(津田塾大学創設者)と交流を持っている。 

このように岩倉使節団に接触した新島は、木戸孝允、特に森有礼などの明治政府高官とのパイプを持つこととなる。

そしてこの出会いは、のちの同志社英学校設立(後の同志社大学)に大きな影響を与えていく事に。

ともあれ新島は岩倉使節団との接触により、文部理事官:田中不二麿の随行員となっていたのだが、田中が帰国する際、文部行政にあたるよう嘆願を受けるものの、今、政府の仕事をしてしまったら、

【神の御国のために働くことができない】

【神学の勉強がまだ中途半端であり、牧師の資格が得られない】

との理由で大変な好条件:<出世街道まっしぐら:政府幹部間違いなし!>を蹴ったのだった。(ちょっと前まで死罪になる立場だった事を考えると尚更!!)
 
彼は手紙に中で「自分が第一に望む事は『自分の十字架を背負って主の道に従うこと』。これが自分の幸せである」と手紙で語っている。

しかし、新島の判断は正しかった。

それは翌年の明治六年、所謂【明治六年政変】にて明治政府の不安定さが露呈され、西郷隆盛を中心とした国内残留組Vs木戸孝允・大久保利通などの使節組の構図が生まれ、新島が政府高官になっていたら政治に翻弄されどうなっていたかわからなかったからだ。
 
そして新島は【主の道に従う事】を第一として、明治7年11月26日、10年ぶりに新島は日本に帰国したのだった。

新島襄、31歳のときである。

ちなみに!! 新島襄が卒業したアーモスト大学は多くのノーベル賞受賞者を輩出しており、日本人の卒業生には新島襄の他に内村鑑三がいる。

また、日本の北海道に赴いたクラーク博士もここの卒業生で、新島はクラークから化学の授業を受けていた。のちに、クラークが北海道に行く事となったのは実は新島の紹介である。(1876年-クラーク50歳)




 

五月の黙想会予定

黙想とは・・・日頃忙しい世の中から少し離れて、心静かに目をつぶり、祈ることです。

多くの人のイメージですと座禅に近いかもしれません(ただ、座禅は組みませんが)

会社帰りなど、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。

参加は無料です。

最後に席上献金がありますが、任意ですのでご安心下さい。

ロウソクに火が灯り、その中で黙想します。

詩篇を読みつつ、呼吸法を学び黙想しますので、心がリラックス・リフレッシュできます。

5月の予定 

・5月10日(木) 午後8時~午後9時まで

・5月24日(木) 午後8時~午後9時まで

・5月31日(木) 午後8時~午後9時まで

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ここで少し詩篇で黙想する方法について書いてみます。


●詩編で祈る
 
神に「自分の言葉で」自由に語りかけることは、ある意味では、祈りの理想です。
初心者で素直にこれができる人があります。
 
しかし、だんだんに難しくなるのが普通です。
本当の神に話しているのか、おもちゃのぬいぐるみに話しかけているようなものなのか、わからなくなるのです。
 
そして、かつて自分がまっていた神との親しい交わりを失ってしまったように思い、がっかりします。
 
しかし、これは本当の問題に取り組み始めたからなので、退歩ではなく、進歩なのです。
人間が神に語りかけることが難しい理由を考えて見ましょう。
 
 
①    相矛盾する思いが同時にある
例えば、自分に不当な仕打ちをした(と思う)人への怒りがある。
 
しかし、同じ心の中には同時に、「自分が悪いのかもしれない」「人を責めることができる立派な自分だろうか?」という相反する思いもあるのが普通です。
一つの思いを神に語ろうとすれば、もう一つの思いが足を引っ張って、思い切って語ることができません。
 
 
②    言葉が見つからない
現代の日本人は怒りに限らず、嘆き、喜び、痛悔などの強い情念をしっかりとぶつけることのできる言葉を失っています。私達はみな、「むかつく」「この野郎」というような短い貧しい言葉を投げつけるか、あるいは新聞の社説のようにしゃべるのです。
「テロはゆるされるべきではない。・・・なければならない」など。
 
 
③    自分の思いが弱々しく思える
黙っているときには、自分の中に非常に強い感情があるように思える。
 
しかし、いざ語ろうとすると、急にそれが弱々しいものに感じられて、腰砕けになってしまいます。「言うほどのことでもない、言ってもしようがない」
 
 
④    聴いてくださる方はそこにおられるのか?
たぶんこれがもっとも根本的な問題です。神が人間の旅路に深い関心を持っておられること、自分が語りかけるときには耳を傾けてくださることを、私は知っています。
 
しかし、信仰のレベルでそれを確信していることと、自分の心の思いを真剣に聴く方がそこにおられると感覚のレベルで感じることは別です。
身体的、感覚的なレベルの手ごたえがないと、神に語り続けることはむなしく思われるのです。
 
 
●詩編の力
このように思いも、言葉も、信頼も貧しい。そんな私達のために、神は詩編を与えて下さいました。
詩編は人間からの神への語りかけです。
 
詩編の祈りの秘訣は、「詩編の言葉に自分の思いを乗せる」ということです。
 
例えば詩編88・16
「わたしは若い時から苦しんで来ました。今は、死を待ちます」
 
これは現代日本の都会の中で孤独に苦しむ人の思いを乗せてくれます。
 
特別な感情が溢れるときは思わず叫んだりします。しかし、そんな特別な感情は日常的にできるものではありません。
 
祈る人になるとは、感情が満ち溢れてはいない普通の日々にも祈れる、神に語りかけることができる、という事です。詩編はそのために大きな助けになります。
 
 
●詩編を祈る手順
 
①    詩編を一つ、ゆっくりと声をだして読む
一つひとつの言葉を自分の心に触れさせながら。
 
②    もう一度、ゆっくり黙読する。
今度は、どの言葉が自分の中にある思いを呼び起こしてくれるかを感じ取ろうとする。
 
③    一行、二行分くらいを選ぶ。
 
④    その言葉に自分の心を乗せてやるつもりで、声を出して読む。
三度、間をおいて、ゆっくりと読む。
 
 
※    勿論、詩編の全部が神に「あなた」と直接呼びかける文体ではありません。
 
けれども祈る時は、その歴史を感じながら自分が語り、神もその場におられ、この言葉を聴いてくださると考えるのです。
 
祈りは、神にすべてをぶちまけること。詩編には怒りもあれば屈辱、赦し、希望、感謝、嘆きなどの人間の心の奥底に隠されているものがすべて神にぶちまけられているのです。
 
神は私達の祈りを聴き、そして神の御心のままに私達を導いて下さいます。
 
 
●実際に祈ってみよう
 
詩編109篇は怒りから嘆きの詩編です。- 怒りを吐き出し、神に嘆いていく
 
詩編102篇は屈辱が表された詩編です。 
 
 
●独りで祈ってみよう
 
-詩編123篇


 
参考書:【詩篇で祈る】 目からウロコ 詩編で祈る  来住 英俊
 




花園教会ってどんなとこ?

主日礼拝:毎週日曜日
10:30~12:00




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