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ラブゴスメッセージ(最後)

聖書箇所:ルカ5章1節~5節

 

皆さんこんにちは。

 

今日、与えられたみ言葉は、ルカによる福音からです。

 

さっき読んだ箇所の出来事を通してペテロがイエスの弟子となった箇所ですね。

 

ここの5章5節に「私たちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」。とあります。

 

ペテロさんはいわゆるオール、ずっと魚をとるために漁をしていたんです。

 

でも全く魚がとれなかった。

 

この場面は、湖での漁が舞台だけれども、これと同じようなことをみんなも学校や家庭や職場でも・それに教会でも経験するかもしれません。

 

いいえ、もうしているかもしれない。

 

それは、みんなが何か作業をやっていて、色々試したのに、頑張ったのに、なにもできなかった。

 

そんな経験はないですか?

 

そんなときに、知り合いや友達や親に「またそれをやってみたら?」と言われたらどうでしょう。

 

友達から、知り合いから、親からそんなことを言われたら、先生なら、「そんなことを簡単に言うな!」とむかつくし、やる気がでなくなってしまいます。

 

またできなかった作業を再開する、もう一度やるということは容易じゃない、簡単じゃないですよね。

 

それどころか、すべてが退屈でいやになってしまいます。

 

すべてのことが嫌になってしまいます。

 

みんなそうしたらどうでしょうかねー。

 

「もうどうでもいいわ~」なんて思っちゃって、毎日の生活・学校・職場・人との交わり、教会で言うならば、毎週の礼拝などが重荷となってしまい、嫌になってしまう。

 

もしそうなったら、私たちの祈りでさえ冷え切ってしまいます。

 

クリスチャンであったとしても、「もうどうでもいいや~」と思ってしまったら、そこには喜びも感動も希望も他人の事を思いやる愛も無くなってしまいます。

 

そうなると、どうでしょう?

 

家庭や学校、職場などにおいて、特に、自分にとって一番身近な人を、傷つけ合ってしまう。

 

「別にそんなつもりはないのに」と思っても一番身近な人を傷つけてしまうのです。

 

そうなってしまったらまた、人を傷つけてしまうかもしれないという思いがどんどん大きくなり、しまいにはすべての事に無関心になってしまいます。

 

そしてお互いに「こいつが悪い、あいつが悪い」とただ批判するようになってしまいます。

 

また批判するようになると今度は、犠牲を払うこと嫌がる。それは、「じゃあ自分が、僕が私が●●をやってあげるよ」と他人に対して思いやる気持ちがなくなってしまうんです。

 

そうなるとそこには何も生まれないし、進歩もありません。愛も冷えてしまいます。

 

それは私たちクリスチャンであったとしても失望し、すべてに無関心になり、すべてのことについて疲れてしまいます。

 

私たちが生きている現代は非常に生きることが難しい・大変な時代です。

 

私たちをがっかりさせ、働きを困難にする要素は多いし、皆さんもそう感じることが家庭、学校、職場、友達、教会など色んなところであると思います。

 

ここで、もう一度聖書を読んでみたい。

 

「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」

 

ペトロは、自分の考えに凝り固まらず、自分の状態をありのままイエスにつげました。

 

「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」

 

ペテロは今までなにもできなかった。それを正直にイエスに話したんです。

 

みんなも今の自分の状態をイエス様に告げてみましょう。そう言ってみましょう。

 

私たちも、ペトロが「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」

と言って見ましょう。

 

でも聖書に書いていても実際の生活の中で、どうせ神に言ったってどうにもなるわけがないと決め付けて神に背を向ける人がいます。

 

でもはっきりいいます。

 

それは間違いです!

 

それはイエスキリストから離れる行為です。

 

悪魔・サタンが喜ぶ行為です。神様を忘れようとしている証拠です。

 

私達はそうではなく、私達はイエス・キリストという人がどんな人であるか知っているんですからいってみましょう。言って見ましょうよ。

 

「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。・何もできなかったんですよイエス様」って

 

そのときイエス様は

 

「沖に漕ぎ出して網をおろしなさい」と言われるんです。

 

この沖に漕ぎ出すとは、神様がくれる希望に向かって前進しなさい、チャレンジしなさいということです。

 

教会は、沖に漕ぎ出すための停泊所に似ていると私は思います。

 

教会は、希望という約束の地にむかうため停泊所である。

 

旧約聖書にでてくるアブラハムもモーセも神様が約束してくださった土地を目指して砂漠と言う名の大きな海で旅を続けました。

 

アブラハムとモーセはその約束の土地にいくまでに、何度も何度も休むために同じ神様を信じる仲間たちと一緒に、停泊所を張り生活しました。

 

約束の地にいくために前に進みそして停泊所をつくりそこで休む。

これを幾度となく繰り返したいのです。

 

しかし、その約束の土地にいくまでの数々の困難がありました。

 

休むための停留所・天幕を張っていたときでさえ困難が起こりました。

 

しかし、神様はその停留所・天幕においてアブラハムやモーセを励まし、希望を与え、最後までアブラハムやモーセを見捨てることはなさいませんでした。

 

またアブラハムやモーセたちも神を信じ続け、約束の土地へとたどり着いたのです。

 

そう教会も同じです。

 

神様の約束の地、希望に向かうためには教会と言う停泊所が必要なのです。

 

この世に疲れて、困難に陥ったり、また教会自体が自分にとって時には困難になり、行くことができないときがあるかもしれない。

 

でも、神様はアブラハムやモーセに対して、天幕においてアブラハムやモーセを励まし、希望を与えました。

 

私たちの通っている教会も同じです。

 

私達は前に前進する時、困難なことも多い事でしょう。

 

そんな時は、私達はいつでもどんなときでもなんどでも教会と言う停留所に戻ってきていいんです。

 

モーセやアブラハムも何度も何度も天幕という停留所を立てては出発しまた天幕を張ったじゃないですか。

 

わたしたちはこの繰り返しがあるからこそ、神が与えてくださった希望の約束の地へと入ることができるのです。

 

そして天の約束の地に繋がる教会だからこそ、神はここで私たちに希望や奇跡を見せ、与えておられるんです。

 

それから神様は沖へ漕ぎ出した私たちに、静かにこう言葉は語りかけておられます。

「網をおろしなさい」と。

 

網をおろすとは、祈りなさい、ということです。

 

私たちは祈りという網を降ろそうではありませんか。

 

でも、クリスチャンの中には、「今は祈れない」という人がいます。

 

でも私は言いたい。

 

祈れないと思う時にこそ、祈るんです。

 

だって「祈れない」ってときってそれは相当自分が追い込まれている時ってことでしょ?

 

そんなときに、自分が追い詰められた時に、「祈らない」、「祈れない」って、ほんとにそれって神との関係をもっているんでしょうか?

 

自分の肝心な時に神がいないんじゃ、神様の恵みが自分の中で大きく生かされるはずがないじゃないですか?

 

そうじゃないんですか?

 

祈れないという人は、いつの間にか神様と語り合うができなくなってしまっている人です。

 

その人は是非、あなたを変えたときの御言葉を祈りを信仰を、そして祈ってくれている人の信仰をどうぞ思い出してほしい。

私達が神と語り合える事ができるようになれば、この世でどんなに、どんなに、苦しくて、死にたくなっても、それは神の恵みによって、希望へと変えられます。

 

人は裏切りますが、神様は絶対裏切りません。

 

だってその証拠を十字架と復活で神はイエス・キリストを通して見せてくださっているではありませんか!

 

だから私達も網を下ろしましょうよ。

 

やってみましょうよ!!

 

私たちは疲れていても、教会に停泊し、そしてこの世へと漕ぎ出し、網と言う祈りができるとき、私達は大きく変えられ、約束の地へ、永遠の命への道が与えられている事を知る事でしょう。

 

どうぞ、イエス・キリストを信じて自信をもってください。

 

あなたは神様から選ばれ祝福され、必要とされている事をです。

 

それではお祈りします。

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