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京都・花園キリスト教会

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自分をさらけだすところ

ラブゴスのメッセージ

聖書箇所<フィリピ1章15節~30節>

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教会を批判する人、または教会から離れていく方の言葉を聴くとある共通する言葉があります。


それは、「教会は理想だと思っていたのに現実は違う。汚い部分がなぜ教会にあるのか?」と。

私達は、教会をあるひとつの理想郷と考えてしまうことがあります。

教会には、様々な人々、年齢も違う、性別も違う、性格も違う、体格も違う、境遇も違う、仕事も違う、老若男女の方々が集まります。

私達は、全然自分とは違う人と集まっていれば、それだけ意見も違うし、対立してしまう事も多々あるだろうと頭では分かっていても、それが自分に現実に起こったとき、私達はショックを受けるのです。

そしてこういうでしょう。

「なぜ教会なのに?なぜ教会でこんなことがおこるんだろう。それなら信仰なんて持たなければよかった。神がわからない。教会がわからない」と。

しかし、私は教会とは、一番素晴らしいもの、奇跡が行なわれるところ希望が持てるところであると同時に、人の一番汚い部分、嫌な部分がでてくるところでもあると思います。


なぜなら、私達は神の前にたって賛美し祈り、メッセージをきくのだから。


神の前に立つということは、自分のすべてが明るみにだされるということです。それは隠す事はできません。


私達は、そのとき目をそらして離れることも出来ます。でもそうすべきではありません。


私達は、自分達を中心にして、物事を利益であるか利益でないかを考えてしまいます。


今日与えられたパウロもそう考えました。


パウロは自分の心をさらけ出しました。


自分はキリストの為に死ぬべきなのか、それとも行き続けて実り多い働きをすべきなのか?


あの伝道者パウロですら「わたしには分からない。 板ばさみになっている」と語ったのです。


私達の信仰生活は、利益になるか不利益になるかで成り立つものではありません。


私にとってあなたにとって不利益な事と感じても神はそれを用いられる事があるのです。


パウロもとても悩んだ事でしょう。


しかし、今日の箇所の最後にパウロはこう語ったのです。


「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と。

キリストの福音にふさわしい生活とは聖書の理解を増す事でも、立派な人になることでもありません。


御言葉があなたの自分の生活の中でいきて働くようにすることなのです。

信仰によって生きるとはこのような事です。


人をみて教会生活をするのではありません。教会が良いか悪いで判断するのではありません。


今、御言葉があなたの自分の生活の中で生きて働いているか?なのです。


教会自体が希望なのではない。


そこに教会で語られる御言葉に希望があるのです。
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