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京都・花園キリスト教会

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ペンテコステの日に

先週はこの教会学校のお友達で誕生日を迎えた人が2人いました。

これはとても花園教会の私たちにとってとても嬉しい事です。

この世の中にあって誕生日ない人なんて1人もいません。

必ずどんな人にも誕生日はあります。

誕生日はみんなにとってどんな日なんでしょうか。

好きなものがもらえる日?

それともケーキが食べれる日?

家族とお祝いする日?

好きなものを好きなだけ食べれる日?

お金をもらえる日?

友達と一緒に過ごす日?

誕生日といっても人それぞれ色々と過ごし方は違う事でしょう。

実は教会にも生まれた日があるんです。

「ええ~教会に生まれた日なんてあるの~?」と思う人もいるんじゃないかな?

教会ではこの教会が生まれた日をペンテコステと言っています。

ペンテコステとはギリシャ語から来ているんだけど、日本語ではこのペンテコステを聖霊降臨日と言います。

つまり、神様が私たちに恵みを祝福を力を与えてくれる聖霊といわれるものがイエス・キリストを信じていた弟子たちに降りてきた日というなんです。
イエス様が私たちのどうしようもない・どうしようもできない罪を、本当は私たちが罰を受けなくてはならなかった罪をイエス様が身代わりに死んでくださった。

ここでひとつ質問!!

みんなの中で「私はなんて事をしてしまったんだ!どうしよう!どうしよう」と罪を感じている人を見た時に、

「じゃあ、私があなたのその罪のために苦しんで死んであげましょう!」と言える人がいますか?

いないはず。私たち人間にはそれはできない。

ましてや十字架に掛けられて死ぬなんて事はとてもむごい死にかた・・・。

今では十字架は若者のデザインになったりしているけど、イエス様が生きられた時代はそんなかっこいいものなんかじゃない。

十字架につけられた人は即死すること・すぐに死ぬことができません。

刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられるんです。

手のひらに釘を打ち付けると手のひらがちぎれてしまうため、手首の骨と骨との間に釘を打ちつける。

そしてその釘を打ち解けられた手首と足首だけで自分の体を支えないといけない。

だからとても激痛が走ります。

そして自分の体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死んでいく。

だから、長引く場合には48時間くらい苦しみ続けないと死ねないというとても残酷なものだったんです。

もし自分が人のために助けて・人のために色々と活動してきたのに、その人に裏切られて逮捕されて、そのむごい十字架刑を受けたらどうする?

多分、先生なら「俺はお前をゆるさない!憎んでやる!恨んでやる!」っていうと思う。

だって助けた人が自分を裏切るんだよ。そう思うでしょう普通。

でもイエス様は違った。ルカ23章34節

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのかしらないのです。」

と自分を裏切った人たちに対して神様に赦してあげて欲しいと祈られたんです。

裏切った人たちのためにですよ。

自分は何も悪い事をしていないのに裏切られ逮捕され今まさにむごい殺され方をされている人が、そして自分は激痛なのに周りに人が集まってきて、

「お前は自分も救えないのか?馬鹿だな~」

「お前は他人を救えて自分は救えないのか?」と馬鹿にしている人たちですよ。

そしてイエス様の服を馬鹿にしながらくじで分け合っている人たちですよ。

そんな人たちのために

「神様、この人たちに罰を・苦しみを与えないで下さい?赦してあげて下さい」

とみんなは祈れますか?

先生なら祈れない。

祈れるはずがないでしょ!みんなそう思わない?


でもイエス様はそう祈られたんです。

そして実は、「お前は自分も救えないのか?馬鹿だな~」

「お前は他人を救えて自分は救えないのか?」

と馬鹿にしている人たち、そしてイエス様の服を馬鹿にしながらくじで分け合っている人たちって

実は先生であり、みんなであり、あなたであり、きみなんです。

そう、私たちは罪を持っている。

私たちはすぐ馬鹿にするんです。

でも神様・イエス様はそんなすぐ馬鹿にする先生や・みんな・あなた・・そして、きみのために

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのかしらないのです。」

と祈り、そして私たちの罪のために死なれていったんです。

でももしイエス様が死んでそのままだったら、今の現代までこうしてイエス様の事を伝えていってはいなかったでしょう。

そう、イエス様は死んで終わりではなかった。

そう3日目に復活されたのです。

死ぬ事は、私たちにとって絶望・希望も夢もない。嬉しいことなんてない。
ただ苦しい・悲しい・つらいこと。

でもイエス様が復活された事によって、その絶望は希望にかわり、苦しかった事は楽しいことにかわり、悲しかったことは嬉しいことにかわり、つらいことは喜びにかわったんです。

そう、イエス様はいつもどんなときでも私たちの事を一番に考えてくれて、そして愛してくれて、支えてくれてるって事をイエス様は復活を通して教えてくださった。

どんなに先生が・みんなが・あなたが・・・そしてきみがイエス様を馬鹿にしても裏切っても・イエス様はいつでもきみの事を一番に考えてくれて、そして愛してくれて、支えてくれてるんです。

これってすごい事じゃない?

「自分はなんて駄目な人間なんだ。」

「どうして誰も自分の事をわかってくれないんだ!」

「なんでわたしだけにこんな嫌な事があるんだ」

と思っていた自分をイエス様は復活を通して

「きみは駄目な人間じゃない!」

「わたしはいつもきみの事をわかっているし支えているよ」、

「そのきみの苦しみは希望へと変わっていくステップなんだよ」

とイエス様は自分が死んで蘇った事を通して私たちに教えてくれたんだから!


そしてその事をまず知ったのがイエス様と一緒にいた弟子たちなんです。

弟子達はイエス様が十字架に掛けられて殺された際、どこにいたと思う?

弟子達はいつもイエス様に「イエス様のためなら死ねます!戦います」と言ってた弟子たちですよ。

弟子達はイエス様が逮捕されて十字架に掛けられて死んでいくとき、イエス様を裏切って逃げたんです。
「逮捕されたくない!死にたくない!」

と、思って逃げたんです。

そう、イエス様と一緒にいた弟子でさえ罪があった。

でも弟子達は復活されたイエス様に出会って、イエス様はいつもどんなときでも私たちの事を一番に考えてくれて、そして愛してくれて、支えてくれてるだという事を知ったんです。

そして・・・これが今日一番大事なところ!!!

今日ペンテコステの日に、弟子達は神様から聖霊を受けてイエス様がいつもどんなときでも私たちの事を一番に考えてくれて、そして愛してくれて、支えてくれていると言う事を全世界に広めていった日なんです。

弟子たちが約2000年近く前に全世界に広めていったからこそ、2000年後の私たちそしてみんな・あなた・きみに今こうして先生はそのときの出来事を伝えているんです。

これが教会の始まり。

だから、先生はみんなに言いたい。

君たちもこれからその復活したイエス様が教えてくれた、イエス様がどんなときでも私たちの事を一番に考えてくれて、そして愛してくれて、支えてくれてるって事をまずきみが信じて、そしてその事を家族や友達に伝えていって欲しいんです。

先週は初めてバンド演奏をした記念すべき日曜日でした。

きみ達は音楽を通してイエス様の希望を・夢を多くの人たちに与えたんですよ。

きみ達には大きな力がそして希望が夢が神様・イエス様から与えられています。

だからこれからもバンド演奏を通しそして聖書の御言葉を信じ、そして賛美しお祈りしてイエス様を信じていってほしいと思います。

それでお祈りします。

2009年5月30日(教会学校礼拝にて)
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