花園教会 in 京都

災害支援・地域支援・バックヤード系水族館を運営するキリスト教会

「青年の輪【国際交流・京大聖書研究会etc..】」記事一覧

第72回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会(クリスマスバージョン)

先日、72回目の聖書研究会が京都大学YMCA地塩寮にて行われました。


今回は12月という事でクリスマスバージョン。

前半はクリスマスキャンドルサービス。




後半は祝会です。




お陰様で72回を迎えました。この6年間、一度もお休みがなかったのはすごい!と思います。

私は震災支援の関係で2回ほど出席できませんでしたが、その時は学生だけで実施してくれました。


前回はヤローばかりのクリスマスでしたが、今回は女性が入ってきてくれて、会場も華やかになりました(笑

ケーキも作ってくれましたし!感謝!



いつものようにプレゼント交換も!


今年は、初めてプレゼントらしい本を頂きました!!

 


来年も聖書研究会が守られますように!!






第71回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -イエスの批判は真っ当なのか?

今年もあと2回となった京都大学YMCA地塩寮で行われる聖書研究会!

今回は嬉しい事に、学生がケーキを作ってくれました。



まずはアイスブレーキング:お題-印象深いクリスマス

・高校生で留学生していた時に、外国でクリスマスを過ごしたが年越しは派手だが地味で家族で過ごしていた。
・あんまりない。クリスマスになると鳥の丸焼きを食べて、そのあと鶏ガラ炊き込みご飯を食べた記憶が、、、
・プレゼントがいつの間にか現金に変わってしまった事が淋しかった。
・以前、サンタになった事。
・11月末に高校時代に体験学習にいったら、鳥を屠る事を体験した。自分がさばいた鳥をクリスマスのときに食べたがあんまりおいしくなかった。
・小学生の友達がホームパーティーをしてくれた。
誕生日プレゼントをあげた時に、プレゼントの御返しをしてもらった。
高1のときに富士急にヒートテック・ポンチョでいったら、ジェットコースターがポンチョNGだったのでヒートテック一枚でめっちゃ寒かった!
・去年のクリスマスにケーキを買って楽しもうというものをすっぽかした。
・地塩寮のクリスマスが印象的。1回生のときのクリスマスが印象。
とても楽しいなあという印象。
・特に意識せず終わっている。小学生のポケモンを買ってもらって嬉しかった
・25日に毎年プレゼントが置いてあった。それは今も続いている。小さい時は兄弟で3人で交代制で見張りをした。サンタはその事を察してプレゼントを違う部屋においたりと思考が凄かった。
※<感じた事>
とりあえず、サンタさんには現金のプレゼントはしないで!とお願いする必要を感じました!!

本題:ルカによる福音書11章37~54節

・派閥へのイエスの批判が書いてあるが、人を直接に批判するイエスの姿に驚いた。
なぜなら隣人愛を解いていたので。

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●イエスはファリサイ派を猛烈に批判しているが擁護する観点からも見てみたい。
イエスの批判に対してどう反論できるか?
-ファリサイ派の人の教えは儀礼的であっても、全体を批判する事は違うんじゃないかなと思う。
なぜ儀礼を重んじているだけで、正義の実行と神への愛まで及ぶのか?おかしいだろ?

という反論が生まれてくるのではないか?

ただ、これに対しては「儀礼は人を作る。それにはまりすぎているという事も言えるのではないか。」という事も言えると思う。
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●記事の中で墓を批判する事が出るがなぜ?
牧師回答:像を作る事には一生懸命だが真理を追究しない事だと思われる。

前後の記事を読んでいくとファリサイ派は、イエスを招いているが、イエスの揚げ足を取ろうと計画し喜んで迎えているわけではないのに気づく。

そして逆にイエスにがつんと言われたので逆ギレを起こしている。

⇒そう考えるとファリサイ派は見かけを重視している事が言えると思う。言葉尻をとるという事からもファリサイ派は中身を持っていないというのはわかる。そう考えるとイエスの指摘は至極当然の事だと思う。
ただ、ファリサイ派の全体をを批判する事はおかしいのではないだろうか?
⇒日本に置き換えると昔のことまで責任を取れと言われているのと同じではないか?
⇒これは直接的な批判ではなく、神というものを信じているか?という風にいっているのではないか。
この記事から感じられることは、
自分たちが救われているという事をすでに知って信じてるがゆえに、救われる課程を無自覚でいる事は危ないという事。

知った気になってしまう危険性がある
⇒⇒⇒
牧師の見解
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ラインホルト・ニーバーという社会学者がいたが、彼は罪理解が必要と語っている。

個人的な罪・社会的な罪には違いがある。
私達人間は自分を差し置いて国や社会を批判する。いやしやすい。けれども自分を追求されると弱い一面がある。

大切なのは自分は「正義」・「正しい」という観点から出発するのではなく、正しい者は一人もいないというところから出発するとき、今まで見えなかったものが見えてくると思う。

キリスト教は過去に多くの負の遺産を残してきた。まさにイエスの批判の対象だ。
だからこそその負の遺産を知る責任が私たちにはあると思う。



是非とも疑問を持ったら、自分の足で歩き、目や耳、鼻で感じてほしい。


今回も白熱した議論となりました。今回はいつもよりも学生の出席が多かった事もある(12名)と思います。感謝です!








第67回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -偽善とはなにか?

7月の後半という事で、テスト期間真っ只中でしたが、8人近くの学生が参加してくれました。

私も前日にアメリカから帰ってきたという事で、時差ボケが治らない中でしたがとてもよき時が与えられました。

今回のまず【アイスブレイキング】としてのお題は

【 将来の夢】-うまくいった場合&うまくいかなかった場合

という事でしたが、さすがに大学生という事でいまある自分がどうなるかなんとなく見えてきて、あまりにも現実感がすごいのでちょっと変更しました。

そんな中で

A君-新聞記者、新聞記者になろうと思ったが中学生でそのフットワークについていけないと思ってあきらめた。
とりあえず80歳くらいで布団で最期を迎えたい。  

B君-大学教授。正社員。うまくいかなかったらフリーターかも、、、仕事は根性論となってしまう風潮・環境についていけない。
C君-とにかく自分から死なない。何があってもどうにかなるだろう。生きる事をあきらめない。人のためになればいいな。なんとかできないかなと思っている。
D君ー日本を放浪したいな。100名山登りたい。
自分がやるべきことをやっていたら、求める企業があるんじゃないか。
 
Eさんー東日本大震災、小さかった。どんな仕事をしたらいいかなと本気で考えた。
身内に嫌悪感がある。幼少期の子どもはのちの人生に影響すると思う。
人を助けられる事をしたい。

それぞれ話しているうちに、自分の奥底にある想いを話してくれました。感謝!!


★聖書研究★
マタイによる福音書6章1−4節「施しをするときには」
<議題>偽善というのはどういうこと?
偽善という言葉を使うこと自体がどうなのか?
善行はいいものなのだから、偽善という事は言えないのではないか。
●そこに悪意があるかが問題ではない。良いこととは、意識しないくらいの事柄ではないか。
●自分が偽善者だという言い方をするときには、反省が含まれているのではないか。
でもそれは自分を不安にさせる。
●24時間テレビがとても偽善に思えてしまう。


●ボランティアはどうか?
・やってあげる感が出てしまう。
・助けてあげるという感覚ではない。
・介護のボランティアをやっていたがやろうと思ってやったのではないので半年でやめてしまった。

<<まとめ>>
24時間テレビは確かに、障害者を頑張らせてお涙ちょうだい的なものがある。
ただ実態として、それに頼らざるを得ない日本のNGO・NPOがあるのも事実。
日本には寄付文化がアメリカなどのように低いため、成果をあげる方法が求められており、これが日本のシステムになってしまっている。

この現状は変えて行かなくてはならないと十数年やってきているがなかなか厳しいのも現実。

聖書・またイエスが語っている事の中で私たちが意味をとらえるとしたら、

反省は大事だが、そのあとどうするかの方がもっと大切という事。

そこには責任が与えられ信念を貫く事の勇気が与えられる。

信じていく事の重要性がここには記されている。

今回はボランティアの意味も含めて、また支援の問題・あり方などを議論できたと思います。

ちょうどアメリカの支援会議から帰ってきたのでその事も含めていい話し合いが持てました。

偽善かどうか、まずは自分でいろいろ体験・経験してみてから答えを出してほしいと私は思います。

実際の出来事は頭で考える事よりももっと、大変だけど・面白いんですから!



第65回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会 -敵とはなにか?-

昨日、第65回目の聖書研究会が京都大学YMCA地塩寮にて行われました。

私の参加は今年度初めてとなります。

聖書研究会に出ることができなかったのは今まで2回

どちらも地震関連でした。

1回目は東日本大震災の災害支援と重なり、2回目は熊本地震における物資支援でちょうど、京都より熊本に4トン車を運転する事と重なったためです。

熊本地震における物資支援の報告はこちら

⇒ http://kyotohana.blog.shinobi.jp/Category/18/


さて、聖書研究会の司会が私から学生に移って2回目となります。

最初はなかなか慣れないと思いますが、ぜひとも頑張ってほしいものです。
これはなんだかんだ言っても場数ですから。

今回のお題は5月という事で「五月病になっていないか? そしてそのストレスをどうしているか?」でした。

・ある学生は、まさに5月病になっており、やる事を淡々とこなしているとか、、
GWには昔、囲碁クラブに入っていて、その大会に出たけれども、小学校のときに一緒に囲碁区クラブに入っていた子がプロ棋士を目指している子がおり、びっくりしたとの事。

・今回初めて参加した一年生は、昨年は浪人していたので「勉強・勉強」と追い込まれていた状況を考えると今はとても快適!だそうだ。

・タイの留学から帰ってきた学生は帰ったらすぐに就活なので5月病になっている暇がない。

・4年生になって研究室が忙しくなり、かなりストレスがたまるが、寮が一番リラックスできている。

・ストレスをためた時にはあまり強くならないくらいにぶちまける

などなど。

学生もこの時期はやはりそれぞれ大変ですね。体調には気を付けてほしいものです。


さてさて本題ですが、ルカ6章27-36節 「敵を愛しなさい」がテーマ。

・「敵というのはいったい何だろうか?」

・「自分にとっての敵とは何だろうか?」

という定義づけから論じていった。

そうすると、

・「考え方が違う」

・「考え方も言動も嫌」

・「立場を利用して人を攻撃する」

などの意見があがった。

そして次に、【その人を敵と判断している自分はどんな存在なのだろうか】という事を考えてみた。

・「人のことを考えていない」

・「してもらう事は当然だと思っているところがあった。家族関係・特に親に対して」

次に【では自分ならどのような態度をとるだろうか】

・「関わらないようにする」

・「あの人はこういう人だと思うようにする」

・「体調が悪くなる」

など、様々な意見が出た。

確かに関わらないことはというのは時として必要だけれども、もしそれが自分の周りでどんどん増えて来たら、人間として親しみなくなり、逆に殺伐とした雰囲気になるかもしれないという実例を通して、「挨拶」や「声をかける事の重要性」などいろいろと議論を重ねた。


今回の議論の中でとても面白かったのは、これらの議論の最後の最後で

「自分が経験したこと・特に嫌なことを、自分が嫌だった・苦しかった経験を、あいつにもやらせようと、いい意味ではなく悪い意味で、下にも伝えているのでは?」

という意見が出てきた事だった。


例えば、いびられていた自分が、今度は【いびる自分】に自然となってしまっている。


そんな状況があるのではないだろうか。

だからそうならないように意識する必要がある。

そのために今日の聖書箇所・愛の重要性があるのではないか??という帰結に至った。

たしかにその通りだと思わされた。

【救いは外からくる】

その事を強く強く思わされる今回も楽しい聖書研究会でした。

感謝!!


第63回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会「悪霊とは?」

今日は4月1日ですが、第63回目の3月の聖書研究会として行いました。

まさに3月32日という感じで、、、エイプリルフールですかね。。


今年の地塩寮には4名の新しい寮生が入寮されたということで、そのうちの2名が今日、聖研に参加してくれました。


今年度より、聖研のスタイルを少し変えよう!ということで、司会や進行は学生主体で行ってもらう事にしました。


さすがに私も6年目ということで、学生にとってもおなじみの顔すぎてマンネリ化してきていることも原因としてあると思います。

ただ、学生たちの知恵によって今日は新たな船出となりました。

聖研の出席は6名でした。

最初の話題は「寮の先輩にはどういう人がいたか?」という上級生の寮での想い出話などがでてきて、少し緊張気味だった新1年生にも笑顔が出てきました。

やはり、寮生にとって寮の話題はいいですよね。

私自身の寮生活が懐かしく感じてきます。

さて、そんな話も終わり、聖書の箇所はマタイ8章28~34節までの「悪霊が豚に入る」エピソードからでした。

そこから怨霊信仰の話やなぜ豚に悪霊が入る必要があったのか? などを議論しました。

新一年生にとってはこれまで受験勉強をやってきたこともあり、「自分の意見を考えて議論させること」になかなか慣れない・頭を切り替えられないという事でした。

確かにそうですよね。


しかしそういう今までとは違う何かをまず新一年生に提供できたことは感謝です。


次回こそ2016年度4月の最初の聖研となります。

次回の聖研が楽しみです!


第62回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会「祈りとは?」

先日、第62回目の聖書研究会にいってきました。

2月という事もあり、地塩寮では新入生の入寮選考のための準備で大忙しでした。

私もこの時期は確かに寮に新しい新寮生を入れなくてはならず、奔走した覚えがあります。

入れる人数で予算なども変わってきますし、死活問題なんですよね。


ともあれ、聖書研究会ではこの春休みでの過ごし方などを共に共有しました。

そして本日のテーマは

ルカによる福音書11章1-13より

「祈りとは?」

というところから発題が行われました。

あまり日本人がイメージしにくいのがこの「祈り」ではないでしょうか。

そんな中での意見
●努力してきた事が成就されるように祈るのが祈り という意見が多数でした。


確かにそのような祈りもあるかと思いますが、

ここで言う祈りは、「他者への祈り」、つまり「執り成しの祈り」です。

イエスは、「神を愛しなさい」というのと同列に「他者を自分のように愛しなさい」と教えました。

神は別次元の存在という当時の考え方から大きく逸脱しているのがこの教え。

つまり神を愛する事と、他者を愛する事を同列にしている事も重要なポイントです。

自分の事柄が成就するように祈願するのも祈りですが、

それ以上に重要なのは「他者の事を祈りで支えていく&他者の為に求めていく」

この祈りの方が重要なのです。



今回も共に聖書研究会のときが持てて感謝でした。




第61回京都大学YMCA地塩寮聖書研究会「復讐してはならない」愛による抵抗

2016年も1月が半分過ぎようとしていますが、芸能界がとっても慌ただしいですね。

ともあれ昨日は、5年を過ぎ6年目に突入した聖研でした。

今回の出席者の中には成人した3人が参加し、成人式の話で盛り上がりました。


私の成人式は、ちょうどインフルエンザにかかってしまい寝込んでいました。

そこに鹿児島の友人から「来ないの?」と電話がかかりとインフルの為に東京にいたことなどを話した悲しい記憶を紹介。

そのあとは、今年一年の抱負を語り合いました。

この2016年がそれぞれの学生にとってよき年となりますように。


さて本題。今回の聖書箇所はマタイ5章38ー48節

『復讐してはならない』

有名な箇所ですよね。

そこから

親子ケンカの話に発展し、親子喧嘩をする人・しない人に分かれました。
 
 ―親は自分のスポンサーだからケンカするメリットがないなど、なかなか新鮮な話ばかりでしたね。

さて、ここの聖書箇所ですがよく私たちが読むと受け身として読んでしまいます。

【右のほほを打たれたら左のほほも差し出しなさい。】という箇所は最たるもので、

抵抗してはならない的な思いを抱いてしまいます。

しかしここで注目する点は決して「怒ってはならない」と書いていない点です。

右の頬を打たれたとき、左の頬を差し出す、これはとても勇気のいる行為です。

これはガンジーの非暴力主義に通じるものがあります。

ガンジーは聖書に多大なる影響を受けました。そこから彼が提唱したのは非暴力という抵抗運動です。

私たちは無抵抗主義者ではなく、抵抗はします。

でもそれを暴力に訴えないというのが大切な点だと思います。


しかし世界は暴力に訴えていく。

私たちに必要なのは暴力を止めるための暴力ではなく、暴力を止めるための愛だと思うのです。

その暴力を止める愛の一例として、昨年の黒人差別主義者の教会での銃乱射事件です。

この差別主義者は全米で暴動を拡大させるために銃を乱射(ヘイトクライム)しました。

しかし、牧師を殺された遺族らの「容疑者を赦す」という言葉で、暴動は起こりませんでした。

まさに暴力に対して暴力で訴えない「愛」によって抵抗した事例ではないでしょうか。


乱射事件のあった黒人教会(ヤフーニュースより)

これはとても難しい事ですが、しかし難しいからこそ祈り求めていきたい、そう思うのです。





花園教会ってどんなとこ?

主日礼拝:毎週日曜日
10:30~12:00




『魚の生命維持システム』開設募金のお願い。
ご寄付受付口座
<ゆうちょ>
口座番号: 00940-4-332099
口座名:花園教会水族館

<他行からの振込の場合>
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